▲キム・ウンガン氏
2015年 新天地脱退
安山常緑教会在籍
画像引用元:現代宗教

 

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脱会者の抱える問題と苦悩

新天地から脱会後の青年の多くは、プライドと自信の回復が最も困難で、必ず解決しなければならない課題となる。 私と同じ悩みを抱え脱会した青年もいるだろう。 新天地で過ごした無駄な時間と、取り戻すことのできない青春に対するもどかしさ・懐疑心・自責の念で長い時間苦しむだろう。

また、異端脱会者という偏見で排斥しようとする人々の態度も、脱会者の信仰回復の障壁となり、彷徨する要因となる場合がある。 回心して教会に戻った時、「異端脱会者」とレッテルを貼られる痛みを経験するかもしれない。 実際、カウンセリング後、教会に戻ったものの、適応できず、さまよう友人をたくさん見てきた。

どうか脱会後、教会に戻ろうとする方々を、神様のもとに帰ってきた子どもたちとして愛をもって抱きしめてあげてほしいのだ。彷徨の後、帰ってきた放蕩息子のように。 また、信仰のない状態で異端に陥り、戻ってきた脱会者の困難もあるだろう。 特に、家族に信仰がない場合は、カウンセリングを受けるのも難しく、カウンセリング後も正しい信仰を持つことが難しい。特にJMS(摂理)脱会者はとりわけ困難だったように見受けられた。

異端相談所で正しい福音と正しい信仰教理を学び、正しい救援観が回復し、教会に戻ってうまく適応する場合もあるが、福音を通しても完全に回復できず、単に脱会・離脱のみで終わる場合があり、そんな時は残念でならない。

 

脱会者と家族に願うこと

私は、脱会した青年たちにこう言ってあげたい。「長い間よく堪えてきたね」と。
だからこそうまくいくことだけが残ったし、 きっとうまくいくと言ってあげたい。 大丈夫だ、少しは遠回りしても、また神様のもとに戻って、神様が導いてくださる正しい方向へ歩いていけば良い。 私は教会の新メンバーにいつもこう話している。 「どんな仕事をしても、どんな人生を送っても、私はあなたを応援する、どんなときも変わらず、あなたを応援する」と。「あなたに本当に幸せな人生を生きて欲しい」と。       

頑張らなくてもいい、 大変なら大変でもかまわない、 今もすでに充分輝いているし、あなたはありのままで愛おしい。 神様はそのように眺めていて下さる。 だから自分を認めてあげて、誰とも比較しないで、ただ、あなたはあなたとして生きていけば良い。急がないでほしい。 もう少し心の余裕を持ってほしい。 まずは、新天地から脱出できただけでもよかった。 新天地に奪われた大切な時間に対して後悔したり、両親が願いに応えようと、就職や方向性を急いで決めたりしないことを願う。ただ、 家族・特に両親が受けた傷も、とても深いだろう。

家族も回復のための時間が必要となるだろう。 子どもが新天地に陥って費やした時間は補償されない気がして焦るだろうが、余裕を持って子どもを最後まで信じ、待ってほしい。 子どもがカウンセリングを受ける前は、「子どものために忍耐して待つ」と言った人も、子どもがカウンセリングを受け、回心した後は、「早く社会に適応できるよう安定的な職場に行きなさい」と促す親たちを多く目にした。 しかしそれでは、回復がさらに難しくなり、お互いの関係が一層悪化するだけなのだ。

突き詰めれば、、異端に陥るのは新天地だけの問題ではない。 家族間の疎通不足、対話の断絶から来ると思う。 幼い頃からの傷が積もったままで、誰にも話すことができずにいると、子どもの将来を心配するあまり、良い大学と安定的な職場だけを強調する両親との、真の意思疎通は極めて困難となる。 また、クリスチャンの青年たちは、長い間通った教会では解決できなかったことへの渇望があった場合や、救いの確信がない時、新天地に陥ることがある。

青年時代に耐えなければならない人生の重圧や苦悩は少なくない。 画一化された社会のありかたに、青年たちは非常に苦しんでいる。 新天地を脱会した青年たちが幸せな人生を送るために、これからの人生に対して、今一度真剣に考えてみてほしい。 そして、その回復の時間を一人で耐えることは絶対に難しいということを認めてほしい。

一番近い家族、周りの人々、特に同じ痛みを経験した人々に助けを求めてほしい。 お互いの痛みを分かち合い話していくうちに、その傷が自分だけのものではなく、みんなのものになるはずだら。「自分の痛みは、みんなの痛みだ」と、お互い共感し、それぞれの心の慰めになると思うのだ。

だが、何よりも最も重要なことは、正しい福音を聞き、救いの確信を持つことだ。 その確信の中で、回心した青年たちが共に分かち合い、共にみことばを聞き、共に礼拝すれば、「神様は変わらず私たちを愛し、守ってくださっている」ということを心から悟ることになるだろう。 無償で与えてくださった救いの恵みに感謝し、信じて受け入れる時、心の中に安らぎが訪れると、私は確信する。

「神様が私をつかまえてくださる」という信念と堅固さを持ち、「自分がどんな人生を生きようと神様が導かれる」との確信を持つことが一番重要だ。今も新天地にいる人々には、まず「本当にごめんね」と言ってあげたい。 私がもっと愛してあげられなくて・・・もっと勇気を出して寄り添うことができなくて・・・。いつでも帰ってくるのを待っているから、ほんの少し勇気を出してほしい。

客観的に自分たちを見つめる勇気を出してほしい。それは善悪の実ではないのだ。 新天地がなぜ異端と言われるのか、これは自分のいのちがかかっている問題なので、一度客観的に新天地での生活を振り返ってほしい。 最初、彼らの言葉だけを聞いて新天地を選択したのなら、これからは自らが質問して振り返り、聖書的な教理的反証を聞いて、自分の魂が進むべき正しい道を選択し、決めてほしい。

もう少しだけ勇気を出せば、どこででも助けてもらえるだろう。 これ以上、彼らが大切な青春と時間を無駄にしないことを願う。 私は悔しくて後悔する時間を過ごしたからだ。 なので、これ以上取り戻せない大切な時間を後悔しないように、早く回復され、心からの喜びを感じられるように、切に願う。

そして―――神様のもとに戻り、神様の子として、この地で異端にはまり苦しむ人々の魂に福音を伝え、真の礼拝者として用いられる神様の働き手になることを、私は常に祈っている。あなたを待っている。

「私はいつも準備しているよ。あなたが差し出してくれるなら、あなたの手を、私はいつでも握ってあげる。あなたが本当に懐かしく、会いたいよ。あなたを愛しているよ。」と、私はあなたに言ってあげたいからーーー。

《完》

 

 

 

 

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「神の国の完成のためには私が耐えて努力しなければ」という行動主義だった
 
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嘘をつく娘が信じられない家族の辛苦、脱会後に襲われた挫折感と喪失感、無気力とうつ病
 
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失敗と挫折を経て知った神の恵み、家族の回復
 
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自分自身を受け入れることが真の回復と癒しに
 

本記事は、現代宗教(韓国)の「新天地からの脱会、そして癒しと回復のストーリー⑥ 」より翻訳したコンテンツになります。

原文:新天地からの脱会、そして癒しと回復のストーリー⑥ 【신천지 탈퇴, 그리고 치유와 회복 이야기(6)」】