▲キム・ウンガン氏
2015年 新天地脱退
安山常緑教会在籍
画像引用元:現代宗教

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失敗と挫折を経て知った神の恵み、家族の回復
 
回復から1年が過ぎた頃、私は大学時代に取得した教員免許を生かし、教員を志した。背景には、両親の「早く安定した職について欲しい」という希望があった。しかし、急いだのが失敗だった。自分では充分休息し、回復したつもりだったが、いざ勉強を始めると、再び競争社会に迎合することになったからだ。私が教職に幸せや満足を感じることはなかった。 

▲(画像:「現代宗教」原文から)

再び挫折した私は、「失敗」という泥沼に足をとられ、もがき、混迷した。だが、そんな中でも教会での礼拝だけは守っていた。日曜の朝から両親と激しく衝突しても、いかなる状況・心情でも、礼拝だけは通っていた。 水曜礼拝・主日礼拝でみことばを聞きながら、私のため死なれてまで愛してくださったキリストの十字架を眺め、泣き続けた。また、御言葉を通じて慰められた。 神様が最も嫌われる「偶像崇拝の罪」を犯した私。そんな私を新天地から救い出してくれたのだ。導かれたことを感謝し、これからも守ってください、傷ついた心を癒してくださいと、号泣しながら祈った。

こんな何もできない状況でも、神様は切ない心でずっと見つめていてくださった。 倒れ、痛くて、逃げたい時も、諦めずに神様を信じた。こうして神様にすがり、頼り続けていたら、神様は応えてくれて私は回復し始めた。そして私は神様のご計画の通りに、神様の作られた計画行程を一つずつ経験し始めた。そのすべては私への贈り物で、恵みだと悟った。

私の家族は、初めて本音で話し合った。両親は幼い頃、親から愛されずに育ったという話。私と弟を育てるのが大変だった頃の話。子供達のためには自分自身の人生は諦めるしかなかった話……を聞き、両親の気持ちを少し理解できるようになった。いつも強く見えていた両親も、歳月がいつの間にか白髪に変えた。肩も目も弱くなり、父も母も歳をとったと初めて感じた。

私が一歳を迎えた頃から両親が商売を始めた。そのため、私と弟は親戚の家に預けられ過ごした頃もあった。なので、私は幼い頃から弟の世話をしなければならず、大人しくしなければならなかった。 早くから我慢の仕方を知っており、不満を言うことは1度もなかった。 ただ両親に喜んで欲しくて頑張っていた幼い頃の私。弟は私に対する劣等感に苦しんでいた。両親が私のサポートに集中するのを横目に、自分の話ができず、一人でくよくよしていたと打ち明けた。

家族全員が、胸に溜めていた本音を吐き出した。家族の目から涙が溢れ、お互いに抱き合って号泣した。 心の中に溜め続けたそれぞれの話を聞きながら、お互いに謝罪し、赦しを乞い、それまでの傷や確執の一つ一つを癒していった。 こうして、互いに閉ざされていた心は少しずつ開かれ、崩れていた信頼の回復が始まった。

私が新天地にはまる前、父と私はノンクリスチャンだった。 父は「私は自分自身を信じている」という人だったし、私は、幼い頃母について教会に通ったことはあるものの、それは「神様を知りたくて」ではなく「母の機嫌を取るため」だった。

しかし、カウンセリングを受ける過程で、父と私は福音を知り、イエス様だけが唯一の救い主であることを信じるようになった。母はこれまでの安易な信仰生活を反省し、我が子という偶像崇拝を捨て神様に立ち返った。 翌年の2015年夏、安山常緑教会の夏の修養会で両親と私は洗礼を受け、父親は救いの証をした。

現在、両親は、様々な教会に講演に行く私の心強い運転手でありマネージャーである。そして、家族の中で誰よりも素晴らしい祈りを捧げるのは私の父だ。これらたくさんの ‘失敗’を通じて神様は私に「待つ心」を与えてくださった。

私の志は失敗しても、神様の志は決して失敗しないことをみことばで示してくれた。 今振り返ると、私のすべての過去は、「神の摂理」の中にあり、私の人生は失敗の連続に見えても、意味のない時間はこれっぽっちもなかった。すべての経験・・・すべての瞬間によって私をつくる「神の摂理」。私の人生に無駄な時間はない。

▲新天地内部資料「イエス・キリストのあゆみ~四福音書の解説~」。
本紙編集部が新天地脱会者より独自に入手。

「神の摂理」に失敗はないのだ。 私はこのようにして「待つ心」を学んだ。 神様の定めた時まで待つのが一番賢い方法なのだ。 失敗して待つことになっても、定められた時に神様からの贈り物を受けるようになった。そのすべてが神様の恵みだった。

私は神様のみこころを待ち、今日私がいる場所で、私をどのように新しく導いてくださるのかと期待するようになった。

自分の弱さを認め、神様に頼るようになる時、神様の力が働き始めることを悟らせてくれた。使徒パウロの告白のように、「私の弱さはすべて私の誇り」となった。 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、 私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである」。

キリストの力が私の中で働かれるように、私は喜んで自分の弱さを誇ろうと思う。 これからも私は失敗し、傷つき、倒れるかも知れない。だけど神様が一緒にいてくださるから大丈夫。 神様が私を通じて偉大な業をどのように成し遂げられるかを期待しつつ、希望とときめくを胸に、神様と信頼の旅路を大胆にに歩いて行きたい。(次号に続く)

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「神の国の完成のためには私が耐えて努力しなければ」という行動主義だった
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嘘をつく娘が信じられない家族の辛苦、脱会後に襲われた挫折感と喪失感、無気力とうつ病
 

本記事は、現代宗教(韓国)の「新天地からの脱会、そして癒しと回復のストーリー③ 」より翻訳したコンテンツになります。

原文:新天地からの脱会、そして癒しと回復のストーリー③ 【신천지 탈퇴, 그리고 치유와 회복 이야기(3)」】