霊的な未熟さについて

 

コラム:パスカル・ズィヴィー(マインド・コントロール研究所所長)

 

現在、全世界のキリスト教には、多くの問題が存在しています。今回は、それらの中から一つの問題について話したいと思います。それは、「霊的な未熟さ」についてです。

人間は生まれてから、いろいろな段階を経ながら、成長して大人になります。クリスチャンとしての成長もその人間の成長に似ています。クリスチャンになる時、最初は霊的にはまだ「赤ちゃん」のままです。そこからだんだん成長していきながら、霊的に成熟し、クリスチャンとして大人になります。しかし、世界のすべてのクリスチャンが霊的に成熟している訳ではありません。霊的にまだ未熟なクリスチャンはどこにでもたくさんいます。

霊的に未熟であることが悪いことではありません。しかし、ここからいろいろな罪が生まれてしまう危険性もあります。たとえば、

― 傲慢

― 間違った聖書の解釈

― 混乱、差別、暴力、権力欲を求める

― 「信仰」という名の虐待

これは、非常に大きな問題です。これらの罪によって、多くの人たちがキリスト教に対して不信感を持ちます。または深い傷を受けて、信仰から離れます。

1:牧師について

私は「牧師」である、あるいは「宣教師」であると言って、教会、家庭集会、共同体を作り始める人たちが、今、世界中に大勢います。中には、きちんと神学校で勉強をしていない人がいます。全く学んでいない人もいます。神学校には行ったけれど、卒業しないでやめたというケースもあります。しかし、彼らの話によると、自分ひとりだけの勉強で聖書と聖霊を理解しているというのです。なぜでしょうか。神様から特別な賜物を受けたことによって、自分は他の人よりも霊的に優れていると信じているからです。この考え方は間違っています。神様はそれぞれのクリスチャンに特定の賜物を与えられます。しかし、その賜物は他の賜物よりも優れているというものではありません。自分が他の人よりも霊的に優れていると信じる時に深い霊的な未熟さを示しています。

このような牧師の霊的な未熟さには次のような特徴もあります。自分は霊的に一番優れているから、自分たちの考え方や教えは間違っていないと思い込んでいます。そのため、彼らは聞く耳を持たないので、再検討することができません。そして逆に相手を批判します。それは、なぜでしょうか。その理由は自分はいつも正しいと思っており、自分の失敗を避けたいがために生まれる行動なのです。更に多くの場合はしっかりと聖書の学びをしていないので、いろいろな観点から自分の考え方と教えについて深く説明することができません。拒否しながら、自分が言ったことと、教えたことに対して責任をとりません。彼らは決して再検討することをしません。

しかし、人は真理を探し求めるときには、忠実さ、信頼、誠実さが必要だと思います。真理は本来、人に幸福をもたらすものとして与えられています。ですから、人は忠実に真理を求めるべきです。そして、その真理を見つけることができると信じることが人切です。また、真理を追求するうえで、自分の実際の行動と考え方がその目的と合致しているかどうか常に注意を払うべきだと思います。真理の追求への誠実さがあればあるほど、真剣に再検討することになります。クリスチャンの信仰においても、この誠実さが必要です。それがないと霊的に成熟することはできません。

最後にクリスチャンにとって、自分の弱点に気づいて認めるのは大切なことです。クリスチャンになっても完璧にはなりません。霊的に成熟するためには自分の弱点を認識しなければなりません。心が高ぶることのないためです。霊的に未熟な牧師はこの重要なことを忘れています。というよりも、彼らはそれを認めたくないのです。

2:実現しない預言について

旧約聖書の申命記18章21節と21節には「あなたが心の中で、「私たちは、主が言われたのでないことばを、どうして見分けることができようか」というような場合は、預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない」と書かれています。

「預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことではない」。預言についてのこのみ言葉は、非常に分かりやすく書かれていると思います。預言が起こらず実現しない時には誰の責任になるのでしょうか。それは預言者の責任です。

今、世界には「私は預言者である」と言う牧師がたくさんいます。そして彼らは、神の名によって多くの預言をするのですが、これらの預言は実現しません。あるムーブメントは機関銃で射撃するように預言をまき散らします。そうする目的は、預言の中にたった一つでも実現するものがあれば、多くの人たちがこのムーブメントを信頼するようになるからです。しかし、これらの預言は実現しません。

預言をする時にこのような牧師は神様から啓示あるいは夢を与えられたと言います。もし、これが本当なら、預言が実現しないときには、それは神の責任になります。どうなのでしょうか? 申命記18章21節と22節には、誰が本当に責任があるかを示しています。預言者です。このような預言者は残念ながら責任を取りません。謝罪もしません。そのことについて説明を求めても、つぎのように批判をするだけです。「あなたは聖書をわかっていない」「あなたは聖霊をわかっていない」「あなたは霊的におかしい」。

恐ろしいことに、信者たちが何も考えずに預言の内容を信じ込んでいます。そして、彼らは受け取った預言に基づいてすべての決定を下しています。預言によって、偏見、差別、憎しみの感情まで持たされてしまいます。あるいは神様のためなら暴動に参加してもいいというところまで信じ込んでしまいます。それに対しても預言する牧師たちは全く責任を取りません。この事実を見るときに、これらの牧師たちは霊的に成熟していると言うことができるでしょうか。

3:信者について

パウロは第Ⅰコリント2章2節で「私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたは、まだ無理だったからです。実は今でもまだ無理なのです」と言っています。母親が赤ちゃんにミルクを与えるのは自然なことです。赤ちゃんは大人のように堅い食物を食べることができません。この時、母親と赤ちゃんは共生的な関係にあります。これもごく自然なことです。赤ちゃんが成長して大人になるためには、この関係をそのまま続けることはできません。いつかはミルクを飲むのをやめ、母親との共生的な関係から自立する必要があります。しかし中には、自分の子どもとの共生的関係を断つことを拒む母親がいます。これは子供の心理的な発達に重大な障害になります。大人になるために多くの問題を引き起こします。

クリスチャンになったばかりの人は、赤ちゃんのようです。最初は信仰者として何も分からないので、いろいろ学ぶ必要があります。たとえば、聖書、祈り、クリスチャンの生活などです。牧師は、その人に難しいことを教えることはできません。パウロが言うように乳を与えなければならないからです。その人にとって牧師は「霊的な親」になります。なので、そこから信頼関係が生まれてきます。この信仰の段階では、牧師の信仰を真似ながら、牧師に依存します。赤ちゃんと母親のように共生的関係になります。『霊的な共生的関係』です。しかし、それはいつまでも続けることはできません。霊的に成熟した牧師はこの段階を乗り越えさせるために養育します。だんだん若いクリスチャンは堅い食物を食べ、牧師との『霊的な共生的関係』から自立します。それによって、神さまと直接関係をもつと同時に、牧師や他の教会の人たちとつながることができます。そして、牧師と教会の人たちも神さまと直接的な関係をもつことができます。こうすることでクリスチャンは、自分の創造性を保ちながら、心の中に平安/平和をもち、信仰生活を送ることができます。

しかし、霊的に未熟な牧師はそれを絶対にさせません。自分の子どもとの共生的関係を断つことを拒む母親のようになります。このような牧師は自分の利益のために信者との『霊的な共生的関係』を断つことを拒むのです。信者たちをコントロールするために、その『霊的な共生的関係』の中に閉じ込めます。信者たちは牧師の信仰を真似ながら、依存します。彼らはこの牧師のクローンになります。ただ、牧師の言いなりになって、行動を起こします。何も考えないで牧師の言葉だけを信じます。同じように話します。違った考え方を持っている人に対して、「あなたは聖書をわかっていない」「あなたは聖霊をわかっていない」「あなたは霊的におかしい」と批判します。霊的に未熟な牧師の影響で、自分たちは霊的に一番優れているから、自分たちの考え方や教えは間違っていないと思い込みます。さらにこの信仰が一番正しいと信じ込みます。

 

このような信者たちのブログを読む時、あることに気づくことができます。イエスさまよりも牧師について一番話しています。どれほどこの牧師の教え、説教、行動、霊が素晴らしいのかについてよく書かれています。そして、牧師が自分たちのことをどのように思っているのかについて気になっています。

彼らは神さまと直接的な関係をもつことができません。牧師自身と牧師の聖書解釈だけに依存しているからです。イエスさまとの関係も閉ざされています。心の中に平安/平和がないので、真の信仰生活を送ることができません。

 

おわりに

信仰生活の中で最初は、霊的な未熟さがあったとしてもおかしいことではありません。クリスチャンはみな、それを経験します。霊的に成熟したクリスチャンになるために重要なステップだと思います。しかし、いつまでも霊的な未熟さの中に閉じ込められることは非常に危険です。現在のキリスト教にはこの大きな問題が現実に起きています。多くの人たちが深い傷を受け、キリスト教から離れていきます。霊的に未熟な牧師は他の教会の若いクリスチャンをターゲットにします。そのことによって、クリスチャン家庭の関係が破壊されてしまうケースもあります。残念なことに、この大きな問題の現実を見たくないクリスチャンがまだたくさんいます。これはとても悲しいことです。それによって、キリスト教は大きなダメージ受けているのです。

 

寄稿

パスカル・ズィヴィー  1957年にフランスで生まれる。13才から柔道を始め、80年に来日。講道館の門を叩き筑波大学柔道部で練習に励む。筑波でバートン・ルイス宣教師、稲垣守臣牧師に出会いクリスチャンになる。その後、札幌のアジア聖書学校で数ヶ月聖書を学び、当時通っていた日本基督教団札幌十二使徒教会で初めて破壊的カルトの問題に直面し、救出カウンセリングに携わるようになる。94年、札幌にマインド・コントロール研究所を設立。94年頃から、テレビや雑誌、新聞などのマスメディアでもカルトやマインド・コントロールについて多数出演。2003年から2005年までカナダのモントレアルにあるキリスト教カウンセリング教育機関Sauf Conduit(通信制)でカウンセリングを学ぶ。2005年4月1日に卒業。3年間、北海道聖書学院の短期信徒コースを受講。2015年3月14日に卒業。2015年から2018年まで、フランスのパリにあるキリスト教カウンセリング 教育機関Empreinte.Formation(通信制)でカウンセリングを学ぶ。2018年6月30日に卒業。現在に至る。本紙、異端・カルト110番アドバイザー。

マインド・コントロール研究所 http://mindcontrolkenkyujo.web.fc2.com/index.html

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