高山正治 日本同盟基督教団倉敷めぐみキリスト教会牧師(牧会歴31年)、カルト救出カウンセラー31年、エホバの証人、旧統一教会、摂理(キリスト教福音宣教会)、その他カルトを中心に300人の救出に携わった。異端・カルト110番特別顧問。

このコラムは2013年大阪で開催された講演会の内容からまとめたものです。摂理における状況が現在と一部異なることから注記=「当時」「現」と紹介します。

前回の続きです。

https://cult110.info/column/takayama-2020-04-26-1/

 

私が摂理信者の救出に関わるようになったのは1999年のことでした。その年に教祖の鄭明析(チョン・ミョンソク)が来日しました。彼はのちに女性信者に性的暴行を加えた罪で逮捕され収監されるので、最後の来日ということになります。

この時、大阪のある大学で摂理信者(女性)に教祖が性的暴行を加えたという被害相談が飛び込んできました。教理的にそれを祝福ととらえるか、暴行ととらえるかは女性信者の受け止め方によって違いますが、私はある家族から具体的な被害について相談を受けたことがきっかけとなり本格的に救出活動に取り組むようになりました。被害者のプライバシーを守る必要があるのでこれ以上は具体的なお話しはできません。

救出活動に関わってわかったことは教祖による性的暴行、トラブルは紛れもなく「実際にあったこと」で摂理信者が信じるような「ねつ造」ではないということです。私は何人か被害者と向き合い聞き取りをしました。ですから、性的暴行は事実だと確信しています。

救出活動の過程で信者に説得しなければならない時があります。十数年前はとても楽に行えました。説得はそう難しくなかったのです。最近はそうはいきません。信者は教祖と組織を守るためにウソをつくので家族も安心してしまいます。そして親元から逃げてしまうのです。以前のようにカウンセラーが一週間相手の自宅に通い詰めて話しを聞いてあげるという方法は通用しなくなりました。年々、信者を説得することは難しくなっています。

摂理の教理についてお話しします。この宗教団体には聖書を比喩的に解釈する「30講論」という経典があります。これを使い聖書勉強をするのです。2009年以降は「BS・23講論」に変更されました。キリスト教では経典は聖書が一番大切で、その下に様々な組織神学があります。組織神学書はひとりの著者ではなく、多くの神学者によって書かれています。ルター、カルバン、シーセン・・・。その他の人たちも優れた著書を世に残しました。

どんなに多くの著者がいても共通している点は、それらの本は聖書をもとに書かれているということです。本の内容は聖書を体系化しているもので、神とはどのようなお方か。人間とは何か。神と人間のまじわり、人間の罪、救いとは何か、裁き、終末。その他多くのことが体系化されたのが組織神学です。一方で摂理は、それに代わるものとして30講論があります。この講義はキリスト教組織神学に比べあまりに内容がお粗末です。その過程で誤りをさんざん指摘されその都度、改ざんしていることも特徴です。教えを付け加えたり、取り除いたり、こうしたことは今後もずっと繰り返すことでしょう。真理というものはそう簡単に変更すべきではありません。30講論や23講論の中身はクリスチャンが読めば間違いに気付くことができます。ところが信者は、組織が経典の内容を変更しないかぎり自分で間違いだと気付くことができません。

エホバの証人をみてください。彼らもたびたび教理を変更してきました。そのために「ものみの塔」「目覚めよ」という小冊子があるのです。小冊子なら内容を変更しても聖書のような経典ではないので何とでも説明ができてしまいます。

摂理も都合が悪い部分が指摘されればまた何度でも教理を変更すると思います。それが異端・カルトの特徴です。鄭明析は女性信者に性的暴行を加え逮捕後、裁判で強姦罪懲役10年の刑が確定した時、裁判官から「あなたは再臨のメシアか?」と聞かれ、即座に「違います。私は再臨のメシアではない」と否定しました。組織の中では教理を通じて自分をメシアだと教えていた鄭明析は司法の場で全面否定したのです。ところが、またメシア性を示す発言を刑務所の中(2013年当時)から発信しているようです。このような団体は指導者の考えがよく変わるので、それに合わせて組織も進路変更しなければなりません。信者もそれについていくので大変なわけです。本来真理とは不動なもので簡単に変わるものではないのです。

次に30講論の内容を少しだけみてみましょう。内容がよく変わる教理なので、この話のあとにもまた変わっているかも知れません。キリスト教の経典は聖書であることは先程お伝えしました。その下に教理の解説書と言うべき組織神学書があります。異端・カルトである統一教会には原理講論というものがあり、これが聖書以上の権威書となっています。キリスト教には体系化された神学書の教えがあり、神論、神の創造、人間の罪、救い、イエス・キリスト、十字架・・・皆さんがご存じの通りです。沢山の教えがあります。しかし、摂理にはこのような教義体系がありません。経典は聖書だと述べていますが、聖書を読むものの読み方に彼らの特徴があります。

摂理は教義=自分たちの言いたいこと、が先にあって聖書はそれを裏付けるために読むという感覚です。

摂理の宣教方法について学びましょう。摂理は今では多くの大学生、若者の心を捕えています。全世界で約30万人以上、日本では3000人以上の信者がいます。どのように布教していると思いますか。皆さんはテレビ・ラジオ・新聞や出版物で摂理の宣伝広告を目にしたことはありますか? エホバの証人のようにふたり一組で訪問伝道すると思いますか?統一教会のようにビデオセンターに誘ったり、何日もセミナーに参加させるでしょうか?霊感商法のような方法で信者を獲得していますか? 摂理ではそのようなことはしません。霊感商法もありません。

摂理ではその正体を隠してスポーツサークルに誘ったり、文化活動を通じて関心を持った人を集めようとします。初めは強制もしません。宗教であることも言いません。スポーツの分野ではサッカー、バレーボール、バスケット、野球、卓球、チアダンス、テコンドー、登山などさまざまなサークルを作り誘います。文化では、演劇、声楽、ゴスペル、英会話、料理教室、地域清掃・・・。たくさんあります。摂理のサークルは大学で公認を得ていましたがこの頃は宗教絡みのダミーサークルが増え、それが摂理だと認識されるようになると大学側も禁止したり、注意喚起して堂々とできなくなりました。だからより巧妙化しています。高校生、大学生のお子さんを持つ保護者の方は十分に注意していただきたいと思います。

最後になりますが、摂理の最大の問題は教祖の起こした事件だといえます。信者は(その事件への社会的制裁を)不当な迫害だと信じています。女性信者への性的暴行(セックススキャンダル)はねつ造だと本気で信じています。信者が熱心であれば教理は正しく、教祖は無実になるかと言えばそんなことはありません。ここではマインド・コントロールの手法が巧みに用いられているのです。一人でも多くの若者がその間違いに気付き、そこから抜け出してくれることを祈るばかりです。