高山正治 日本同盟基督教団倉敷めぐみキリスト教会牧師(牧会歴31年)、カルト救出カウンセラー31年、エホバの証人、旧統一教会、摂理(キリスト教福音宣教会)、その他カルトを中心に300人の救出に携わった。異端・カルト110番特別顧問。
このコラムは2013年大阪で開催された講演会の内容からまとめたものです。摂理における状況が現在と一部異なることから注記=「当時」「現」と紹介します。
皆さん、こんにちは。
私は日本同盟基督教団で牧師を務める高山正治と申します。三十数年、カルト救出カウンセラーとして活動を続けています。今回は「摂理(せつり)を中心とした異端グループ」について話をさせて頂きます。まず「摂理」とはどんな宗教団体でしょうか。「摂理」これは韓国にあるキリスト教系異端に含まれるグループのことです。韓国の主要キリスト教団は摂理を異端、反キリスト教的と決議しています。日本では「摂理」の名称で通っていますが韓国ではJMSと呼ばれています。Jesus(J=イエス)、Morning Star(明の明星)という意味です。正式名称は現代のところ「キリスト教福音宣教会」と名乗っています。
次にこの教団の歴史について話しますと、鄭明析(チョン・ミョンソク)という韓国人の教祖が1980年に、今の摂理の前身となるキリスト教プロテスタント系を自称する「愛天教会」を設立しました。鄭明析はメソジスト派のウェスレー神学院に通い、そこで牧師按手を受けたと紹介していますが、この辺の事は定かではありません。中学校卒の学歴しかない鄭明析がキリスト教の盛んな韓国で牧師按手を受けたというのはにわかに信じがたい話ですが、とにかく彼はその後、自分で創った教団の牧師になり指導者、教祖と化していきます。
教会名は、最初は愛天教会でしたが、その次に明星教会、韓国大学生宣教会、世界青年大学生MS連盟、国際クリスチャン連合、JMS(ジーザス・モーニング・スター)、キリスト福音宣教会、等と組織と名称を次々と変えていき、現在ではJMS、さらに最近になっては、日本では摂理という名称で定着しています。これ程短い期間に何度も名称変更した教団(宣教団体)は珍しいと思います。そこで、このJMS、摂理という団体はいつできたのか。創設者はどんな人物で教えはどのようなものか、信者数はどのくらいいるのか。その辺のところを最初にお話ししましょう。
鄭明析は1945年2月17日生まれ、今年68歳(2013年当時)になります。現在は懲役10年の刑で服役中です(2018年2月に出所)。生まれは、韓国の忠清南道錦山郡珍山面月明洞(チュンチョンナムド・クムサングン・チンサンミョン・ウォルミョンドン)で、この月明洞(ウォルミョンドン)という場所が、摂理の聖地になっています。鄭明析は、1969年21歳の時、ベトナム戦争に2度参戦しています。1969年24歳の時に軍役を終え、韓国に帰還しました。その後、(韓国)聖潔教団で牧師をしている兄を頼り首都ソウルに移り住みます。観光ガイドなどで生計を立て、羅雲夢の龍門山祈祷院や三角山祈祷院に行きます。ちなみに旧統一教会の創設者故・文鮮明も龍門山祈祷院や三角山祈祷院に通っていました。後に異端やカルト指導者になった教祖の多くはこの祈祷院に通う傾向があるようです。
鄭明析は1975年30歳の時に錦山「クムサン」の旧統一教会に入信し、勝共連合の講師を勤めたことがあります。これは統一教会が作った(反左翼の)下部組織です。鄭明析が統一教会に入信するきっかけとなったのが、河モスクという女性の存在です。鄭明析の自叙伝「私だけが歩んだ道」にその事が書かれていますが、鄭明析によると、彼は伝道の途中で一軒の洋品店に入ったところ、そこには二人の姉妹が店の経営をしていて、そこで話が弾み度々その店を訪ねるようになりました。
ある時信仰の話になり、姉妹たちは鄭明析に自分たちが通っている教会に来ないかと誘いました。鄭明析は妹に好意を抱いていたので言われるがままついて行ったのですが、姉妹に案内され入った場所が統一教会だったのです。さすがに彼も最初は驚いたようです。でも、鄭明析は妹の河モスクが好きだったので統一教会に通い続けました。皮肉にも統一教会は恋愛禁止です。故・文鮮明の指名によって合同結婚しますから男女は自分の意思でカップルになることは出来ません。好意を寄せて通ったものの鄭明析の淡い期待は叶いませんでした。ようは、好きでついって行った彼女にふられてしまったのです。
この失恋(裏切られた気持ち)が鄭明析の女性に対する偏愛、異常性に繋がっていったと考えられています。
鄭明析は3年近く統一教会に所属しそこで学んだ原理講論がベースとなって、後に摂理という団体を立ち上げ、その教団の教義体系を統一教会で学んだことを元にして30講論という教義体系に作り上げていくのです。つまり、鄭明析の摂理は統一教会の教えを鄭明析が少しばかり作り替えた「教理」に立っています。
1977年32歳の時、統一教会を辞め、30講論を作り、独自の運動を始めていきます。彼は故・文鮮明を再臨のメシアと教える統一教会のノウハウや理論を利用して自分が再臨のメシア、キリストだと内部で教え始めました。そして絶対的な権力を持つようになります。
1985年には、「ウェスレー神学院」というものを開設し、日本に宣教師を送り始めました。多くは大学に派遣され熱心に布教しました。
1999年、鄭明析54歳の時、彼は女性信者に性的暴行を行ったと告訴され、その年の7月に韓国のSBSテレビ「そこが知りたい」という報道番組で彼の性的暴行の実態を3回にわたり特集されました。
そのテレビ番組が放映されることを知って慌てふためいた鄭明析は、直ちに国外に逃亡します。2003年には、女性信者7名が鄭明析から性的暴行を受けたと告訴し、裁判で負けた鄭明析はソウル地方裁判所から約4000万円の損害賠償を命じられました。同年6月には女子大生2名に対する強姦容疑で、ソウル地検から指名手配されました。7月9日、潜伏先の香港において日本人女性信者2名と森の中でテントを張り、いかがわしい行為をしていたところを摂理の被害者(脱会者など)が運営する団体「エクソダス」のメンバーに発見され、警察に引き渡されましたが保釈金を払って釈放され、再び海外逃亡してしまいました。その後、行方をくらましていました鄭明析ですが、中国のアンシャン郊外で発見され中国当局が逮捕しました。
2007年5月中国当局に身柄を拘束されていた鄭明析は、韓国で逮捕され2008年1月7日ソウル高裁で強姦容疑が確定しました。2009年4月ソウル最高裁は鄭明析の上告を棄却し懲役10年の実刑判決を言い渡しました。即日、本人は拘束され刑務所に収監されたのです。(2013年当時)鄭明析は服役中(現在は出所)の身であるにも関わらず、今なお多くの信者は彼をメシアと信じ従っています。このような犯罪の実態があるにも関わらず摂理は崩壊しません。
さすがに指名手配や逮捕、裁判のニュースが流れると犯罪の事実を目の当たりにした信者に戸惑いが生じたようです。離脱者も出ています。しかし、最近ではすっかり体制を持ち直し、以前にも増して活発に活動をしています。教団の信者たちは「先生(鄭明析)は無実だ。罠にはめられた。反対派による陰謀だ」などと主張しています。服役中も「先生は近く必ず出て来られる。それまで忍耐して頑張ろう」こう励まし合って団結し熱心に布教しています。
鄭明析は教団内部で「再臨のキリスト」「メシア」だと信じられています。もちろん信者は他言することを許されていません。「メシア性」は機密事項です。逮捕され法廷に立った彼は裁判官を前に「私はメシアではない」と主張し、「メシア性」を否定しました。しかし、しばらくすると獄中からメシア性を認める発言を信者宛にまた始めています。
次に私と摂理の関わりについて話してみたいと思います。
私がカルト問題に関わるようになったのは牧師になってすぐのことですから、もう三十数年取り組んでいます。最初はエホバの証人の問題で相談を受け、その後すぐに旧統一教会の信者、脱会者の救出活動を始めました。ですから一番長く取り組み、関わった人数が多いのはなんと言っても旧統一教会です。さらに統一教会の分派の問題にも関わるようになりました。故・文鮮明の長男はずいぶん前に統一教会を離脱し新しいグループを設立しました。この信者の救出にも関わりました。兎(ウ)グループのO幹部の指導下にある信者の救出にも関わりました。
それでは、次の号で本題の摂理についてお話しをしたいと思います。