国内では「日本キリスト教バプテスト会」の教団名で活動。韓国主要教団から異端、カルト集団規定。正体を隠した宗教活動・・・信者を恐怖心で支配、情報遮断、精神的苦痛被害

はじめに

韓国主要教団が異端、カルト集団と規定を下す救援派(クオンパ)と呼ばれる3つのグループがある。1つは故・兪 炳彦(ユ・ビョンオン)氏が率いたキリスト教福音浸礼会(創設者は故・権信燦《コン・シンチャン》氏)。2つめは李(イ)ヨハン氏が率いる大韓イエス教浸礼会。命の御言葉宣教会という宣教団体を運営している。3つめは、朴玉洙(パク・オクス)氏が率いるグッドニュース宣教会だ。傘下に多くの団体を持つ。この3グループの中で最も日本国内の活動が活発なのがグッドニュース宣教会だ。東京都新宿区にある宗教法人東京恩恵教会を本部に、その傘下に全国でグッドニュース宣教会、グッドニュースミッションを展開する。兪 炳彦氏の教会は国内では活動が確認されていない。この3つのグループの発足や神学的背景、問題点などはhttps://cult110.info/kyuwonpa-iyf-good-news/good-news-mission-2020-06-24/で詳しく報じている。

今回、国内の「日本キリスト教バプテスト会」を名乗る教会から脱会した元信者から教会内部で体験した問題について情報が提供された。この教会はイ・ヨハンこと本名イ・ボクチル氏が率いる大韓イエス教浸礼会の日本支部教会とみられていたが、正式名称や指導者との関係性を一切伏せた上で独自に宗教法人を取得し「日本キリスト教バプテスト会東京教会」の教団名で活動していることがわかった。東京教会(東京都足立区)を本部とし11の傘下教会を展開している。調べると同教会の説教(YouTube配信=アーカイブ)に指導者のイ・ヨハン氏が登場しており、東京教会と同じ住所に関連団体「命の御言葉宣教会」が拠点を構えていることから韓国異端である大韓イエス教浸礼会の日本版であることが判明した。掲げるロゴも日韓で共通している。今回の証言は、この内容が事実であることを示す物理的な証拠が十分に揃っていること・証言内容が体験した当事者しか語れない具体的なものであること・綿密な調査を行なった結果、証言内容に信ぴょう性が高いと評価できる総合的な判断(倫理的な問題も含め)から、本紙は救援派の教会運営に「深刻な問題」があると受け止めるに至った。証言者にとって勇気のいる決断だったに違いない。被害防止を強く願い、この証言を掲載することにする。(異端・カルト110番編集部)

 

証言

1・嘘からの始まり

そのころテレビは平昌オリンピックに沸き立ち、世の中は韓国の話題に溢れていた。

そんなある日、習い事仲間の“彼女”は近づいてきた。「夫が韓国語教室を始めます。試験段階なので無料です。いらっしゃいませんか?」

“彼女”は牧師の妻。夫妻共に韓国人で宣教者だ。一瞬、統一教会を危惧した私は聞く。「教団の名前は?」彼女の口から出た教団名は、ごく普通のプロテスタント教会に思えた。「日本キリスト教バプテスト会です。」私は安堵と同時に、申し訳なさを感じた。

当時の私といえば、気ままで自堕落な生活に嫌気がさしていた。新たな学びが自身を変革させる期待を胸に、彼女に連れられて教会に向かった。

教会は同行されなければとても一人で入れるような建物ではなかった。ドアも窓も透明部分はすべて目隠しされ中の様子が全く見えない。一瞬恐怖がこみ上げた。が、今さら引き下がれない。入室すると、そこには何人もの信者がいた。全員笑顔で私の来訪をとても喜んでくれる。料理が並び、お茶と菓子が山ほど出され、プレゼントまでたくさん渡された。その日、私は牧師との聖書勉強開始を約束した。これが私の異端カルトの日々への第一歩だった。

振り返れば、この時点でいくつかの「罠」に気づかされる。

  • 対象者(私)の関心と環境に合わせた嘘(韓国語教室は勧誘のための嘘。ターゲットとなった時から、顔写真を含む個人情報は随時教会内と教会SNSおよび韓国教会SNSで公開・共有し、勧誘対策を検討される。来訪者は勧誘進捗状況報告とともに顔写真を毎回撮影され公開される)
  • 異なる教団名を使う(本当の教団名「大韓イエス教浸礼会」はネット検索で異端判明するため知らされない。知らされるのは、信徒としての実績と信頼を得て、真相を知っても離脱の恐れなしと認識後。その頃には絶ち難い人間関係と思考が形成されている。)
  • 当初の条件とは異なる環境に連行される(レッスンは一対一と聞かされたが、実際には数名の信者がおり飲食やプレゼントなどで懐柔)

このすべてに共通するのは「嘘」だ。キリスト教で「嘘」が「信者捕獲」の常套手段として用いられる時点で「ありえない」のだが、彼らはのちに、これらの嘘についてこう弁明した。

「救いのためなら嘘をついても構わない」

2・地獄の教えによる拘束

聖書勉強は社会批判めいたことから始まる。入信後は論調の激しさが増す。進化論を嘲笑し、神道や仏教がいかに愚論であるか、人間の認識がいかに曖昧か、アイデンティティを侵食するかのように批判してくる。さらに個人的には「かつて日本人は韓国人に非道を行ったが我々はそんな日本人を救おうとしている。本国にいれば安定した生活が送れたにもかかわらず」と加わった。

ここにはある特徴がある。問題点を並べ相手が意気消沈・弱体化したところに、教団の優位性を相手が抗いにくい形で主張する形式だ。その極みともいえるのが「地獄」と「罪」の説明だ。まず、地獄の恐怖を徹底的に与える。地獄で焼かれる炎はどれぐらい熱いか示し、実際の全身やけど患者の治療映像を見せる。泣きうめき死にたいともがく患者。そこで「この人は治療してもらえるが、地獄では治療もなく、暗黒の中、永遠に激痛が続く」という。これに恐怖しない者がいると牧師は「その人の手を業務用ガス台にくくりつけ炙ってやりたい」と語った。(実際は腕を出させライターの火を近づけたとのことだった)

地獄とは罪人が堕ちる場所であるが、教団では罪の責も激しい。罪とは万人が避けられないものと定義したうえで、「あなたは、汚い便所のうじ虫だ。うじ虫の体を洗い香水をふりかけようとうじ虫には変わりない。あなたはうじ虫、地獄に堕ち焼かれ続けるしかない最大の罪人」と追い込む。大抵は意気消沈・弱体化するだろう。そこでキリスト登場となる。この絶望的な未来を変えられるのはキリストしかいない、と。そしてキリストの救いに導けるのは教団以外皆無に等しい、と。

ここでの問題を整理すると

  • 社会批判(情報遮断と誤情報提供によって批判心を触発する)
  • 過度の地獄表現による精神的苦痛は、後に教団離脱の抑止力となり、妄信的伝道へと向かわせ、脱出後もトラウマと化す(生活支障を来す)。

ここでは多くを語らずとも、教団の独善的反社会性に気づかれるのではないだろうか。

3・異端カルト信者には二択しかない

「なぜ人は異端カルトに陥るのか」との疑問が、私にはあった。「偽ブランド品のように精巧な作りなのだろうか?」とか、「占いやスピリチュアルの延長線上か?」とか、「カウンセリングの極み?」とか、「仲間が欲しいのか?」とか考えていた。実際、教団に入り、まず気づいたのは、驚異的な同調圧力の存在だった。

教会は何事も教団基準で判断される。社会で筋が通らないことも教団ではゆるされることがある。例えばゴミ出し。可燃不燃お構いなしで時には危険物も混ざる。出す場所も指定外。でも誰も注意しない。私もしなかった。内心、ひどいことをすると思いはしたが、口に出せない。同調し笑顔すら浮かべたことは今でも心が痛む。

同調圧力は、判断を狂わせ、教団特有の模範をも生み出す。個別の伝道、セミナーなどへの勧誘、聖書テスト、奉仕、献金、発言、それぞれにモデルパターンがあった。基準は聖書の恣意的解釈だ。例えば教団では十分の一献金ほかさまざまな献金が同調圧力のもと行われていた。あるセミナーでの発言「十分の一献金をしなかった人は、神様は、足りない金額をアクシデント(事故や家電が壊れるなど突発的出費)によって持っていかれます」――信者たちは、面白そうに笑っていた。

では、同調できない者は?疑問視する者は?率直に言えば「救われていない(完全に信じ切っていない)か、信仰が弱く悪魔の手に堕ちかけている」憐れな者とされる。そして「信仰の再確認(再洗脳?)」をするべく再教育が行われるケースがある。「信仰(洗脳)が弱くなっている様子が見受けられるので再教育(再洗脳)が必要」というかのごとく。

同調圧力が、堅固な見えない網を形成する教団。信者は網の強度を知り、恐れているのだろうか。「教団の網を突き破り脱出するならば、自分の羽も傷つき失うかもしれない」などと。

ここでは二つの選択がある。

  • 社会的思考に配慮するか、同調圧力と一体化し自ら脅威となるか
  • 情報制御せず事実確認するか、情報制御し教団のみ妄信するか

いずれにしても、教団に「いる」か「いない」かの二択しかない。

4・脱出の日

私の教団脱出は、勧誘者“彼女”の決定的発言によって成された。牧師の妻としてだけでなく教会を代表する熱心な信者である“彼女”が、ある日言った。

「この健康食品を飲めば死んだ人も生き返るよ。月々の支払いは10万程度だけど、加入すれば安くなるよ。やったほうがいいよ」

この発言は、一般的にも信仰的にも異常と言うほかない。教団のために補足するが、この健康食品は教団内で販売しているものではない。しかし、ネズミ講的インチキ商売を教団内で牧師の妻が展開しようとしたことは事実である。たとえ個人的出来心だったとしても。私の全身に警鐘が反響したのは言うまでもなく、同時に、それまで抑圧してきた違和感が爆(は)ぜた。

思えば教団と出会って以来、こうした違和感をいくつ飲み込んできただろう。不本意な同意や同調をいくつしてきただろう。湧き上がる違和感を「考えるな」と制され、情報制御を守り、尽くした。なぜ?何のために――。目の前では、牧師が妻であり信徒である“彼女”の暴走を制し消火しようとしていたが、違和感という火薬はあまりに多く、出来事は着火に十分すぎた。

ふと“彼女”が最初の頃言った言葉を思い出した。「私を勧誘した人は、“この教団は危ない”と言い残して逃げた」と。奇しくも、“彼女”は自身が発した同じ言葉で、自身が連れてきた信徒を失おうとしていた。爆ぜた違和感の塊からは、教団から受け取り続けた闇が、無数の黒い蛇のように這い出て行った。

これらは1年にわたる経験のごく一部だ。補足すれば、韓国の教会にも行き、他県教会にも行き、伝道もし、信徒獲得のためのイベントなどにも協力してきた。奉仕や献金は言うまでもない。1年という時間にしては結構濃密な内容だったが、なぜ私は脱出できたのか。

  • 客観(観察)を維持できた(教団内では真面目な信徒を演じ続けた。場の調和のため表面上は同調していた)
  • 教団作成DVDや定期配信を個人的には一切見聞きしなかったため、比較的影響が少なかった(教団では独自作成されたDVDや配信が増え続けている)
5・リアル・サバイバルゲーム

教団を脱けたら通常は終了と思うだろう。甘い。簡単には終わらない。信者もまた社会の一員であり、同県において、同国において、生活を共有しているのだ。社会秩序を大きく乱さない限り司法による彼らの行動制限はできない。

この不安の根拠を説明するには、教団の次の発言が最適だろう。

「私たちは救われたから、これからは何をしても、たとえ人を殺しても、罪にはならない」

この特権意識に恐怖を感じないだろうか。不安にならないだろうか。

彼らは今日もどこかで誰かを「救おう」としている。補足すれば、教団では現世での教団寄与は死後(天国)への貯蓄となり、天国での好待遇へとつながるという。よって、彼らは最後まで「救い」の手を止めないだろう。世の人を二種に見るだろう。「聖なる群れ」に「いる」か「いない」か。

私は異端カルト経験を通じ、サバイバルゲームのごとく「ルールに従いつつ茂みに潜む者がいる」という事実を知った。この事実は大半の人が知らない。どこか遠くの森が会場と思っているだろう。しかし、もし会場が近所ならば。学校ならば。家庭ならば。会社ならば。いま危害がなければ、不安を感じずにいられるだろうか。

なぜなら、あなたから彼らは見えないが、彼らにはあなたが見えている――。完

 

編集部より 宗教法人があれば安全なのか?

本紙には、「宗教法人」をもつ宗教団体について、「国から認められており犯罪や問題行為を起こすはずがない」などと問題を指摘された当事者(その団体)から抗議を受けることがあります。また同様に「私たちは宗教法人をもつキリスト教会なので異端やカルトでは絶対にありません」と対外的に健全性をアピールしています。この説明は不適切だと言えます。日本では宗教法人の申請手続きの過程においていわゆる教理的な異端、社会的な評価(カルト宗教、事件、事故など)はほぼ無関係です。登録は文化庁の管轄(承認は地方自治体)で手続きに必要な書類が揃えば原則「申請」は認められます。社会的にカルト宗教として批判を受けている旧・統一協会(宗教法人・世界平和統一家庭連合)も法人格を持ち、大学などで警戒されるキリスト教福音宣教会(摂理=CGM)も個々の教会が独自に法人格を取得し始めています。

本紙がこれら疑問について文化庁に取材したところ担当者は「文化庁はあくまで手続き上、条件が揃えばそれを承認することしかできない。ただ、その団体が大きな犯罪を犯したり、何か問題が取上げられ警察が介入したりすれば最終的に法人格を取り下げることはあり得る」とし、「法人格の闇売買、違法ブローカーの存在は承知しているが、やはり規定どおりに申請されれば、文化庁としてそれを承認するしかない」(取材:2018年12月)と答えています。また「問題行為が認められる団体については随時情報提供をお願いしたい」ともコメントしました。

現在、新規法人格の取得は通常で3年ほどかかりますし、年々、取得は難しくなっています。法人格は確かに団体の社会的な認知を示すひとつのバロメーターであることは事実かもしれません。ただ、宗教法人を隠れ蓑にしながら反社会的な活動が行なわれる実態が多く確認されていることから私たちは注視していく必要があると考えています。