神様との出会い
大学という新しい生活に胸弾ませていた時。狭い田舎からでて都会の空気がキラキラと感じられた。新しい環境 興味津々の学業 ちょっと大人びた気になったのも無理もない。すべてが新鮮で意欲にあふれていた。好奇心でいっぱいでいいことも世の中の悪いことも聞くだけじゃなく本で読むだけじゃなく自分の目で見て自分の頭で考えて確かめたかった。
そんな時人ごみの商店街で歩いていると声をかけられた。
人生について考えてみませんかとアンケートを差し伸べる手に気が付いた。何度振り払っても何度もついてくるので一度くらい答えればいいだろうと断るつもりで立ち止まった。
そして聖書を手に勉強してみませんかと言われた。私は西洋史や美術にも関心があったのでその文化の根底にある聖書について学んでみたかった。私を誘った人はどう見ても悪い人のようには見えなかったいやむしろ大学の友達や先輩よりも真面目で誠実な人のように見えた。誰よりも目がキラキラして喜びにあふれていた。ちょっと時代遅れの服装はしていたが、、ビルの一室で講義を受けた。大学の講義とほとんど変わらない話だった。けれどなんだか次も聞きたくなって次の約束をした。そこに集まっている人たちはみんな人生について真剣に悩み考えている善良な人ばかりだった。学生もいれば働いている人もいる20代ぐらいの若者たちだった。
そこに何度か足を運んで講義を聞くとその次の話が聞きたくなった。講義の後の和同会やおしゃべりはとても楽しかった。聖書を読んでいくとときどき聖句が胸に突き刺さった。なるほどと思える言葉があちこちにあった。1か月ぐらい通っただろうか、二日修練会を勧められた。迷ったけどこれが最後と思っていくことにした。神様の存在に確信がなければこれ以上聞いても無駄だと思ったからだ。神様がいるのならなぜ私がこの時代に生まれて何のために生きているのか知りたかった。神様について知りたかった。
講義のなかにイエス様の十字架の路程についての講義があった。イエス様の十字架の死がわたしのためだというのでそのことが受け入れられるよう私は生まれて初めて心からお祈りというものはやってみた。その時私は霊的体験をした。明るい光に包まれ鐘の音とともによかったねよかったねという声?音?を聞きながら、、私の心から愛したいという思いが泉のように湧きあふれ続けた。深い感動に包まれ涙で顔がぐしゃぐしゃになった。神様の愛の中で私が生きていることを実感した。言いようのない安ど感と幸福感。その時私は何を体験したのかも理解できなかった。けれどこれが神様が存在するという確信になった。
続く