祝福と訪韓(2)家族との関係
生きる意味について深く考え疑問を投げかけても両親から返ってきた返事は変なこと考えないでちゃんと勉強しなさいだった。霊界の有無について聞くとますます変人扱いされた。世の中の不条理や不公平について聞くと現実の生活で苦労をしてないからそんなことを考えるのだといわれた。何を言っても平行線だった。それでいながら教理の内容や活動について無関心で批判的だった。反対に教会の人は特に私を教会に直接伝道してしてくれた人は一緒に考え悩み共感してくれた。イエス様も自分の故郷では迎えられなかったことを例に挙げながら、、家族をいかに説得すればいいかについて教えてくれた。家族が反対すればするほど私の信仰は燃えた。そして親や反対する人の背後には神様の意図を邪魔しようとするサタンが入っているからその言葉を聞いてはいけないと思っていた。今家族が理解しなくてもいずれ信仰生活を積んで蕩減が晴れると理解してくれるようになると信じていた。何が何でも献身しなければならなかったので家族の反対があると前には進めなかった。親の反対と献身することへのはざまの間で気が狂いそうだった。いや気がくるっていたから献身という道を選んだのだと今はそう思う。胸が張り裂けそうなぐらい痛かった。そこには自分の願いとか要望とか一切なかった。大変ないばらの道を行くことが分かっていたにもかかわらずそんな決断ができたのはただ悲しみの神様の心情を理解して喜ばれる子女になることを通して家族の救いもあると信じ込んでいたからだったと思う。
これによって私の家族はずたずたになった。反社会的な集団と認識された団体に所属することによって母は兄弟や親せきに被害が及ぶことを恐れた。母は私のことが狭い町でうわさになりそこで肩身の狭い思いをしながら生きていった。母はひたすらどう対応していいかわからず悩んだ末、私という娘を切り捨てることにした。兄弟の結婚式に呼ばれなかった。
私は父の亡くなったことも知らせてもらえなかった。献身したことへの代償の大きさに気が付くのはかなり後になってからのことだ。気が付いた時にはもう引き返すことはできなかった。
気が付かないほうが良かったかもしれないという日々をかなりの期間送ることになった。
続く