子供の頃から歌が好きだった私は、小学4年生でパンソリ(韓国の伝統音楽)を習い始めた。実績ある名門校の、国楽科教授になることが私の夢だったため、中学高校は人文系に通った。家庭の経済事情により十分な支援は望めなかったが、私は決して諦めることなく、パンソリと学業を両立するため必死に努力した。
中学2年で仁川に引っ越してからは、週末ごとに、バスで4~5時間かかる大邱のパンソリ学院に通った。1時間のレッスンを受け、家事を手伝い、公演の練習をした。高校の時は、夜10時に(学校内で行われる)夜間自習が終わり次第すぐに練習室へ行き、深夜1時までパンソリの練習をした。ご飯を食べる時間も惜しんで、学校裏の空き地で練習をした。
学校行事の遠足やキャンプも、大会の日程と重なった場合は、迷わず大会を選択した。だから、学生時代は友達との思い出がない。また、「良い大学に入れば、良い職場が保障される」と思っていたが、実際に向き合った現実と前途は、暗いものだった。新天地にいた頃は、新天地修了式において教祖・李萬熙(イ·マンヒ)の前で、パンソリで称えることが生涯最高の栄光になると信じていた。
▲(画像:「現代宗教」原文から)
~音楽人生を手放し狂信徒に、間違いに気づいても地獄~
考えるだけでも苦しいことだが、 新天地に惑わされ脱会するまでの約2年間は、私の15年にわたる長い音楽人生すべてを手放さなければならなかった。仕事もすべて辞め、新天地の狂信徒として妄信的に生きてきた私。その私が新天地教理の間違いに気づいた時は――全てが崩れる思いだった。地獄のようだった。
私を新天地に誘った友達も音楽専攻だったため、音楽を愛する人でも惑わされ惑わすことができる、という人間に対する不信感もまた大きかった。新天地にはまる前からの音楽仲間に対し、私は仲間を救うために良心の呵責すらもたず演技し欺いた。このことは、大きな喪失感・罪悪感となり私にのしかかった。 そして、自分の夢のため積み上げてきた大切な時間を失ったことへの悔恨も非常に大きかった。失った時間は二度と取り戻すことができない。このことを受け入れるのが一番難しかった。加え、「再び世に出て音楽活動をすることができるのか?また堂々と舞台に立つことができるのか?」と大きな不安・恐怖に襲われた。
▲新天地のリバイバル大会の様子。
左下には~天の太鼓、ラッパの音!宗教界の眠りを覚ます!~と記載。
本紙編集部が新天地脱会者より独自に入手。
だがその時も、神様はすでに、すべて知っていたのだ。神様の驚くべき計画とは、私に賛美伝道者という役割を与えることだったのだ…!
のちに私は、信徒たちの前で証をし、賛美を通して神様に栄光をお返しした。このとき私は初めて賛美の喜びを味わったのだ。
私が最も恵みを受けたみことばである、「神は、罪を知らないない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです」(Ⅱコリント5:21)を、パンソリにアレンジした「十字架の伝達者」という賛美を歌った。 私はその時、どうして私にパンソリの賜物を与えられたのかを悟ることができた。さらに言えば、歌える恵みと才能も、神様からの贈り物だったのだ。
~脱会者たちとともに賛美伝道へ~
そして私は新天地脱会者の青年たちと一緒に賛美する喜びも味わえるようになった。 新天地から脱会した青年たちは、音楽の才能を持つ人が本当に多かった。 同じ“支派”(新天地用語で12に分けられた教区を表す)ではなかったが、実用音楽専攻の姉妹がカウンセリングを受けて新天地から戻ってきた。 最初はお互いの苦痛・苦悩を分かち合い、また、新天地から救ってくださった神様への感謝の気持ちを分かち合った。そして「私たちの専攻は違うけれど、一緒に神様を褒め称えてはどうか?」との発案から、グループ結成が実現したのだった。
2016年10月13日、“新天地被害者家族連帯会”主催の文化イベントで、私たちは「ノジェミ・バンド」という名で、賛美伝道を始めることになった。 私たちは、神様が私たちにくださった最大の恵みであるこの声で「苦しみ疲れた心を癒そう」と、互いに励ましあった。互いの傷を音楽で共有し、励まし合い、助け合い、新しい力を得ることができた。 「ノジェミ・バンド」はグループ名を「ロペカ・メロディ」と変え、活動を広げていった。「ロペカ」とは、ヘブライ語で「癒し主・慰め主」という意味だ。「私たちの賛美を通して癒し慰めてくださる神を見上げること」を願い、グループ名を変えたのだった。
以前の環境では、常に競争しつつ音楽をしなければならなかったが、ここでは“上手に演奏しなければならない”という負担と劣等感から離れることができた。メンバーとは同等な関係で、神様を褒め称えることを共有できたので、素晴らしく幸せだった。メンバーと共に、みことばの歌詞を書き、賛美歌と民謡を編曲し、神様だけを喜ばせるための時間の中では、神様の臨在を経験することができた。
しかし、困難にもぶつかった。もしかしたら賛美伝道をすることによって、新天地からの妨害や脅迫などがありはしないかと心配になったり、新天地脱会者であることを明らかにすることによって、教会や周辺での反応が怖くなったりもした。 私たちの情熱だけでは賛美の働きができないと感じ始めた頃、アルバム作成に関する様々な経済的・環境的な困難にぶつかることが多くなっていった。
どのように神様を褒め称えるべきか分からなくなり、途方に暮れた。 私たちが歩む方向が本当に正しいか悩んだ。そうした諸々の要因により、私とその姉妹は、やがて別々の道を歩むことになった。だが私は現在も「ロペカ・メロディ」で国楽賛美伝道をしている。いつか彼女と再び、一緒に神様を讃える日が来ると信じて――。
そして――私に、思いがけない場所で、証しと賛美の機会が与えられた。 昨年初め、CBS放送局の『新たにしてください』に出演することになったのだ。私が今、賛美伝道をしているのも、ただ神様の御心であるからだ。神様が許されるのなら、神様の力ですべてのことが可能だということを経験した。また、私たち家族が「新天地脱会家族」として、MBN芸能番組(キリスト教放送ではない)に出演したことは、両親との忘れられない思い出となった。
だから――私は信じるのだ。「人々に認められなくても、神様が認めてくださり、私の道を導いてくれている」と――。
(次号に続く)
「神の国の完成のためには私が耐えて努力しなければ」という行動主義だった
嘘をつく娘が信じられない家族の辛苦、脱会後に襲われた挫折感と喪失感、無気力とうつ病