鄭氏の「再臨主」を隠し、無賃労働、統一協会によく似た宗教的結婚「祝福式」の実態

摂理信者だった頃のハンさん(仮名)。本部「月明洞(ウォルミョンドン)」で撮影したものだという(写真:キリスト教ポータルニュース)

ハン・スミさん(仮名、以下ハンさん)は両親との関係が悪く、生きづらさを感じる日々を過ごしていた。「宗教は信じない、神なんていない。当時の私は無神論者でした」。彼女は27才のとき、ふと街角にある教会に立ち寄ったという。「何かにすがりたい思いがあったのかも知れません。まさか自分が教会に入るとは思わなかった」と語る。何日かして偶然、高校時代の友人から電話が入った。「僕が通う教会で聖書の勉強会をやっている。よかったらスミも参加してみないか?」。ハンさんは驚いた。自分が教会に立ち寄ったことは彼には話していなかったからだ。「すごい偶然・・・」。彼に誘われて足を踏み入れた教会は摂理だった。ハンさんは摂理と普通の教会の違いは何も知らなかったという。信者たちは笑顔でハンさんを歓迎し温かく迎えてくれた。ここまで聞けば普通の美談に聞こえる。しかし、10年もの間、摂理に通いながらハンさんは深い心の傷を負って脱会を決意した。

本紙はハンさんのプライバシー保護と安全を考慮して日時など詳細を明かすことはできない。ただ、ごく最近「摂理」から抜け出すことに成功した。また、ハンさんは教祖の鄭氏が性的暴行事件を起こし服役してから入信したので「性被害」は経験していない。ここから先はハンさんのインタビューをまとめたものを紹介する。(キリスト教ポータルニュース・編集者注)

 

摂理の教会に通い始めてすぐに聖書の勉強がスタートしました。この教会が世間から異端扱いされていることに気付いたときには、上級クラスの聖書講義を学び終えていました。不思議なもので「問題がある」「異端だ」などと批判を受けても、私にとって担当牧師や家族のように面倒をみてくれる信者たちとの信頼の方が強く特に気になりませんでした。先生と呼ぶ鄭明析(チョン・ミョンソク)総裁に対する敬意も日に日に強くなりました。教会では鄭氏の写真を何回も見せられ、過去の美談もよく聞きました。次第に教祖への好意に変えられていきました。摂理では「自分の考えを捨て、自分で判断をしないように」教わりました。ひたすら先生(鄭氏)と一体になって人生を歩むよう教え込まれたのです。説教も信者を社会と分離させるような内容が多かったです。「世の中のすべてのメディア、情報はサタンが与える悪い啓示だ」そう聞かされました。脱会した信者を「イン・サタン(サタンが入った)」と批判しました。特に脱会して先生を批判する人物には信者たちは牙を向けました。「脱会者は人の皮を被ったサタンだ。そして、信仰が弱い人たち、問題を抱えていた人たちだ」と。こんな話を繰り返し聞けば、純粋に信じる信者たちは、ここを抜けたら私もサタンが入ってくるのかと恐ろしくなります。そのうちに教団から勤めている職場を辞めるように言われ、ウォルミョンドンの本部で働くことになりました。

通い始めは誰からも親切にされ、体験したことがないような温かいもてなしを受けました。しかし、段々と担当牧師や先輩信者が私に背を向けるようになったのです。そして、リーダーが常に行動を監視していることに気付きました。「不信仰」と怒られる前に「より摂理で好かれる良い生き方」を演じました。

なぜ背を向けられたのか、その理由は、聖書勉強を通じて教えに疑問を抱いたり、その内容に悩んだりしたそぶりを見せたからです。ここではそのような感情は抱いてはいけません。信仰的であれば抱かないはずです。だから私を悪者のように扱い相手にしてくれなくなりました。1人がそういう態度をとると次々に皆がまねをします。Aという人が私を「先生が喜ばれない」と批判すると、ほとんどの信者が同じことを私に指摘しました。これが摂理の構造です。矛盾を感じても自分の気持ちを押し殺して耐えながら居続けました。抜ければ地獄が待っていると信じていたので不幸になるのはごめんだと。摂理に奪われた10年間の人生を思うと複雑な感情がこみ上げてきます。今回、インタビューを受けながら改めて自分は頑張ったなと思います。笑顔も今は出ますから。私はネットを通じた交流サイトで摂理脱会者グループと活動を共にしています。私は脱会してカウンセリングを受け、その後に本当の教会に通えるようになりました。私は今クリスチャンです。良い仲間に出会い、親身になって助けてくれる人がいて、イエス様が鄭氏ではないことも整理して正しく知ることができました。かつての仲間に私の言葉が届くならこう伝えたい。どうか自分の心に正直に生きてほしい。自分の心に正直になれば本当に目の前に座っている先生が再臨のメシアなのか、先生を守るために組織が嘘をつくことを正しいと言っていることへの矛盾に気付くと思います。本当にその中にいて幸せですか? 先が見えていますか? 社会を見回して自分と比較してみてください。脱会に成功しても決して1人で心の傷を癒やそうと思わないでください。よい仲間を見つけてほしい。よきクリスチャンと出会い交流してほしい。私はこれを伝えたいです。

摂理脱会後も入信直後に体験した「愛」「親切さ」は今も記憶に残っているという。現役時代の写真。信者は圧倒的に女性が多かったという(写真:キリスト教ポータルニュース)

キリスト教ポータルニュースはハン·スミ氏とのインタビューを一問一答の形式で整理した。

摂理の信者に初めて会った時に感じた「愛情や優しさのような記憶」はまだ残っていますか?

ええ。今も当時のことは忘れません。とても親切にしてもらいました。

鄭氏が性的暴行の容疑で拘束された時に教団にいましたか?

はい。拘束されてから入信しました。鄭氏は服役中で刑務所にいました。驚くことに教会は何事もないように業務が行なわれ、特に動揺する様子もなかったです。迫害と信じて伝道に熱心に取り組んでいました。彼の逮捕は信者にとって彼を一層神格化させたことは間違いありません。先生が戻るまでもっと教会員を増やさなければならないと。入信したばかりの子は事件を知らず、知っていても興味がないので楽しそうにしていました。これも上層部から何度も「外部の情報は嘘だ。サタンが作っている」と聞かされているからです。私も何の問題も感じませんでした。性犯罪という罪状はインパクトがありましたが、「先生を異端に仕立てて金儲けをしているある韓国人牧師がねつ造した」と担任牧師が話しているのを聞き納得してしまいました。講義の中に「異端の概念」というテーマがあります。「安心しなさい。私たちはイエス様を信じているのだから異端と罵られても異端ではないことを証明できる」と書いてありました。これは、イエス様を信じ、その霊を受けた再臨主である先生を信じているので、先生への信仰は隠してイエス様信仰だけを告白すれば正統性を示せるという予防策でした。だから、本部はイエスという名前を強調します。

他にもこんなことを聞きました。「私たちだけに神の歴史が働いている。歴史が評価し証明する。それを阻止しようと外部が攻撃しているのだ」と。韓国のテレビ放送SBS「それが知りたい」の特番で教祖鄭氏の性犯罪を告発するシーンが放映されました。上層部から「ねつ造だ。やらせだ」と聞かされました。SBSの番組に対抗する内部教育用の動画もあるほどでした。告発内容を聞くとさすがに「ここは大丈夫か」と一瞬動揺したことは覚えています。ただ、通えば通うほど疑問は払拭されていきました。信者の親たちが子どもが被害に遭ったと泣き崩れるシーンや自宅に帰らないといったインタビューを聞いても、目の前にいる親切で優しい信者を前にすると、目の前の現実を信用するようになります。家族との関係が悪かった私にとって家族以上の存在として信じていたので。

本部の仕事はどのようなものでしたか?

本部(月明洞=ウォルミョンドン)で働き始めました。しかし、賃金を得るという感覚がないので信者は無賃労働をしました。「働いて給与を得る」なんて高慢もいいところでした。脱会してから「給与が出ないなら告発すればよいではないか」と批判的な忠告を受けたことがありました。摂理の中にいるとどんな行いも天に富を積むための信仰的な行ないだと教わります。だから、(無報酬で)働けるだけありがたいと思うのです。ある信者は教団の活動を広げるために人員を外部から雇えば良いのでは?と意見しました。しかし、上層部は「外部(この世の人)が加わればすべてが無駄に終わる」と却下しました。いくら神様の働きとはいえ最低限のお金は必要です。信者は教会外でアルバイトして凌ぎました。休む間もなく働きました。苦しくて(体力的に)休みたくてもその思考は不信仰で自分を無にして殺し、先生の考えに合わせる生き方を指導されました。

インターネット、テレビ、映画鑑賞、ネットショッピングはすべて禁止でした。まあ、それでもこっそり観ていた人はいると思います。ほとんどの信者は主(鄭氏)の愛と一致する人生を歩むべきと熱心に掟を守っていました。外部から得る情報は「イン・サタン」なので地獄に落ちるとか呪われると脅され、とにかく恐いイメージが今も私の脳裏に焼き付いて離れません。脱会後に知り合った元信者は夢に先生が何度も現れるそうです。私もそうでした。本部での仕事は夜中の12時を回って終わることが多かったです。本当に数時間だけ休ませてもらい、夜明けには起床。祈りの時間を持ちました。これが日課です。

早朝の祈祷会は何時からありましたか?

私が入信したときは、鄭氏は刑務所にいたので祈りについては厳しいルールがありました。先生のために深夜1時、2時、3時と3回に分けて祈祷会が開かれました。信者の多くは男女別の共同生活をしているので部屋の管理者がそれを徹底させました。その後、鄭氏の囚人番号である1178番から、神様は午前1時と午後1時、夜の7時と8時に刑務所がある方角に向けて祈りを捧げました。この服役は再臨主としての十字架を負われていると信じ、迫害のため、牢が壊され先生が逃げることができるように、イエス・キリストのように突然私たちの前に姿を現してくださることを祈りました。

主がお示しの内容は何でしたか?

鄭氏をただ信じ続けなさいという啓示だったと思います。彼こそメシアだと。彼が収監され受けた10年間の懲役は十字架の歩み、人類の罪によって鄭先生が10年間も十字架の道を歩んでくださるのだから私たちは先生の思いをしっかり受け止め、伝道し、御言葉に集中して主(鄭氏)のために祈りなさい、こう指導されました。

2018年2月18日に10年間の服役を終え出所したキリスト教福音宣教会(CGM=通称摂理)の鄭明析総裁

摂理ではなにか特別な役職についていましたか?

27才で入信した私は特に役職には就きませんでした。摂理では20代後半の女性は年寄り扱いされます。これは先生の思い入れが強い部分だったはずです。23才まで入信した女性はスターという称号が与えられます。先生の霊的な新婦として未婚で献身を誓った人への特別な階級です。30講論には先生と愛人になることが説かれています。24才以上の女性は階級がなく苦労することが多かったです。以前はタンポポという組があって24才以上で未婚、鄭氏に献身を誓った女性たちが所属していました。鄭氏による性的暴行事件後、被害者が所属していたタンポポが廃止され、今は主の希望の光という組に名前が変わっています。

2011年、私は信仰的なことで苦労が多い年でした。こんなに苦労しているのに親切なはずの牧師も仲間も私を労ってくれませんでした。私を摂理に誘った友人も突然手のひらを返したように冷たくなったのです。組織で何か問題が起きていたのかもしれません。信者がわずかでも不信仰なそぶりを見せるとすぐにその信者との関係を遮断する傾向がありました。今思えばあの時が脱会できる最高のチャンスだったと思います。出たい、もう辞めたいと思いましたが理屈では外の社会は大丈夫と分かっていながら頭の中には出たら地獄とインプットされているので出たくても体が言うことを聞きません。

この年、急に摂理の教えが一部変わりました。脱会者はサタン、既成教会はもってのほかでした。ところが、既成教会のクリスチャンは非常に次元が低いが救いは実現できると言い出したのです。それでも既成教会の救いは子供じみたレベル、我々(摂理)は本物の救いだと。天国についても既成教会のクリスチャンよりずっと高次元の位につくことができると主張し始めました。やはり脱会させないために地獄のイメージを塗り替えて、ここがより良い教えなのかを示そうとしたのでしょう。私はその後、7年半も摂理に残ってしまいました。ずるずると居続けたのです。

摂理信者時代のハンさん。共に活動した信者たちとの写真(写真:キリスト教ポータルニュース)

摂理を辞めようと思ったきっかけを教えてください

先程お話ししたとおり苦しい思いをしたことがきっかけです。摂理はたくさんのチームが存在します。リーダーの指示のもと集団生活をしなければなりません。よく管理された組織でした。リーダーは信者の様子を観察し上層部に報告する義務がありました。特にストレスを感じたのが礼拝に遅れる、欠席する、こういったことを厳しく叱責されたことです。この圧力に苦しんでいる信者は大勢いますよ。

鄭氏に会ったことがあるそうですね?

私は鄭氏に会ったことは1度あります。刑務所から出所して間もなくのことです。これで私が脱会した時期も予測が付いてしまいますね。ある部署の上級指導部の集いに呼ばれました。本部での働きが功労され特別な席への参加が認められたのです。信者はただ先生のために困難を耐え、ある者は私財をなげうって、自由な生活を捨て、貯金も空にしながら尽くしています。私は組織の内情はよくわかっていました。それは再臨主である先生を喜ばせるための信仰心からでした。ところが、集まりに姿を現した先生を見て私は驚いてしまいました。普段、信者はこれでもかと見せられるスポーツマンの装いをした若い先生の写真や映像とはほど遠い人物が憮然とした表情で座っていました。活動報告を聞きながら「おい。もういい。結局、何人伝道した?」と話を遮りました。「伝道に従事する人材をもっと増やすように」「いいか、ここ(摂理)をもっと広げることを優先しろ」こう命じる先生は終始落ち着かず、できることなら誰とも会いたくないといった様子でした。鄭氏は私にとって間違いなく再臨したメシアでした。神そのものであり、すべてでした。教団は鄭氏を再臨主であることを認めず隠しています。しかし、疑いの余地はありません。そんなイエス様(鄭氏)は一言も信者を労わず、面倒くさそうな顔でただ座っていたのです。この時、私は今まで感じたことがない違和感を抱きました。私はとても動揺したのです。がっかりしたというのが本音でした。それでも自分の信仰が弱いのだと言い聞かせ、もっと集中して説教を聴く努力をしました。

 

摂理のイベントの様子。左に鄭氏、右にキリストと思われるイラストが掲げられている。

その後、また不信感を抱くことが起きました。それは、鄭氏は同じ話ばかりを繰り返しているということです。今まで気付かなかったことが不思議なくらいでした。それも自分が若い頃の自慢話。未来のこと、これからどうしていけば良いのか、彼は語っていませんでした。

獄中から発信されたという鄭氏の説教にもおかしな点を見つけました。2014年に起きたセウォル号沈没事故を題材にした説教集には、「沈没した船内にたった1人だけ摂理信者の高校生がいた。普段から伝道熱心だったが学校では教師から異端だと批判を受けていた。船が沈んだとき、どうなったと思うか? 結局サタン(批判した教師ら)は皆死んだではないか。この子だけ真っ先に生きて救出された」。もうひとつの説教は、「ある飛行機事故で乗客は全員死んだ。本当は摂理信者が乗る予定だったが神はそれを阻止してくださった。ここで注目すべき点は死んだ乗客は全員が既成教会のキリスト教徒だったことだ」。この話を聞き今までは神の言葉として従順しましたが、「待てよ。この人は人間らしい感情があるのだろうか」と急に不安になりました。人の命を軽んじる説教をよくも堂々と発信できるなと。摂理は真理だと信じていたけど信じない人は神の意志で死に絶えてしまうのかと。こうして、段々とすべての話を客観的に判断できるようになりました。やらせのようにも思えてきました。鄭氏が拘束されてからチョン・ジョウン氏(鄭氏拘束後の事実上のナンバーツー、本名はキム・ジソン)の演技めいた司会やトークもあまりにできすぎていて変だったのです。

2020年1月19日、摂理の集会にマイクを握るナンバー2「チョン・ジョウン氏」(摂理内部映像より)

教団で禁止されていたネット情報を自分で検索したことが脱会につながったそうですね?

組織に疑問を抱くようになり、やはり何が本当なのか自分の目で確かめたくなりました。実はネット検索など簡単なことです。指1本でキーボードを押せばいいだけのことですね。信者ではない方からすれば何を馬鹿なこと言っているんだと思われるでしょう。しかし、信者は「見てはいけない」という教えに縛られています。「ネットに出ている摂理批判は、我々を妬んだキリスト教勢力によるねつ造だ」という話を信じている自分がいました。鄭氏の性的暴行事件もねつ造だと主張しているくらいですから。

だから鄭氏の「チョン」の字を検索しただけでサタンの支配に陥り、たちまち地獄に落ちると思っていました。皆さんは信じないかもしれませんが私は10年間1回もネット検索で摂理について調べたことはありませんでした。でも、もう限界でした。地獄に落ちること覚悟で検索キーを押したのです。「ああっ、私は今、命が奪われるんだな」と覚悟しながら。これは教団による洗脳教育の悲劇的な結果です。しかし、私は死にませんでした。代わりに最初にヒットしたニュースは本部で起きた事件(2018年11月)に関する記事でした。造園作業中に信者が落石に巻き込まれ死亡したという報道です。その次が摂理被害者の会(脱会信者の集い)でした。検索しながら「生きている。それにここは地獄じゃない」、私は摂理に騙されていました。傍から聞けば、なに単純なこと言っているんだと笑われるかもしれません。

 私は性被害を経験していません。でも、講義には先生と私は霊的な夫婦関係にあり、愛人、花婿だと教わります。私が入った頃には愛人という教えはあまり使わなくなり、花嫁と教わりました。女性たちは一途に先生を愛していくので先生のためなら死んでも構わないと恋愛熱に冒されていきます。私も先生を愛していました。この教えも30講論を通じて悟りました。再臨主は先生であることも悟りました。自分で悟らなければ意味がないというのも摂理独特な表現だと思います。同じように男性信者も先生と一体になります。彼らも先生を愛します。

温かく迎えられ、家族のような関係が生まれ、集団生活を通して結束していくことで抜けられなくなる、これが摂理から信者が減らない理由です。

そこで何を通じて救いを得ると教わりましたか?

私が10年間、ここに所属して学んできたものを整理して話します。信者は最高水準の救いを成し遂げてくださる先生(鄭氏)について講義から新時代の再臨主、メシアだと教わります。鄭氏の考え、言葉、仕草、何より父なる神への強い信仰を徹底して模範にするように指導されるのです。新約時代のイエスは使命をやり遂げないまま十字架刑で死んでしまった、それは神が当初予定していなかったハプニングでした。それでも十字架は救いをもたらしましたが、死んで天に帰ったイエスはこの時代に新しい救いを実現することはできないのです。なぜでしょうか? イエスは地上にいないからです。だから、イエスの霊がくだった肉体を持つメシアが必要だという内容でした。これが鄭氏です。新約のイエス以上の高い次元の救いを得ることができます。この真理を知ることが救いの第一歩です。

 本部はWEBサイトを各国で立ち上げています。そこを読むと信者は「イエスにあって救われた」証しより、「先生(鄭氏)のおかげ」と告白する内容が圧倒的に多いはずです。この教会は聖書に立つ既成教会と中身は全く異なり、チョン氏に従う宗教であることがわかります。一体になるという意味は一般的には鄭氏の考え100%なら私も100%同意するということです。そして私たちは死ねば天国に行きますが、イエスの次に天を統治される鄭氏の天国に行くと信じます。

摂理内部資料。統一協会によく似た信者同士のカップリング「祝福式」の様子。鄭氏のまえで男女が結ばれると完成したアダムとエバになると教える。摂理は長らくこの実態を隠していた。(写真:エクソダス)

日々の活動で最も大切なのは伝道でした。一人でも多くの信者を入信へと導く必要がありました。信者は酒、たばこは禁止されています。何より性的な堕落をしてはならないと言われます。摂理の教えは人間が堕落した原因はアダムとエバによる「異性間の性行為」からだと教えています。これは鄭氏から出た教理で間違いありません。ある程度の段階を踏むと信者は組織内でカップルとなり結婚します。男女は結ばれると完成されたアダムとエバになると教えられます。十数名で集団結婚を挙げますがこれは公には否定しています。教会外の異性と交際、結婚はできないし、教会内でも鄭氏の号令がくだらないと宗教的夫婦にはなれません。自由恋愛などもってのほかです。異性に興味を持つことも禁止されているくらいです。この時、カップルになるか、独身組になるかは組織が決めるのです。独身組は鄭氏の新婦として献身する覚悟を決めなければなりません。この過程であの性的暴行事件が起きたことを知っています。

鄭氏は既成教会についてどのように教えていましたか?

新約時代のメシア(イエス)を受け入れないユダヤ人と同類だと教えていました。つまり新しい時代(今)に再臨しているメシア(鄭氏)に気付かない哀れな人たちということです。教えをよく聞いているうちに既成教会は限りなくサタンに近い存在だと悟りました。それでも鄭氏がメシアであることは公言してはいけません。外部には正統なキリスト教信仰を持っているように装う必要がありました。教団が今ここで崩壊するようなことがあれば、新時代の救い主はイエスの二の舞になるという理屈です。

家族、将来、人生設計については何か言っていましたか?

元々、家族との関係が悪かったので摂理が新しい家族になったことは事実です。ただ、人生そのものがメシア(鄭氏)になるので肉の家族(親)は必要ないと教わります。だからこの世の結婚も必要ないのです。摂理の教理に従い、鄭氏のために生きることが最高の喜びで次元の高い人生だからです。ここは常に内側に意識を向けさせます。外はどうでもよくなります。

摂理内部の様子を教えてください。服装や規律などいろいろ決まりがありそうですね。

教団内部の女性信者は自分がメシア(鄭氏)の花嫁であることを強く自覚しており、各自それをとても強調します。互いに嫉妬し合うような関係です。そのため身だしなみにも相当気を遣います。カジュアルな服装は好まれず、花嫁を意識した白っぽい服を着ることが多かったです。花嫁衣装を意識しなければならないからです。規律では、テレビを観ること、生活環境にテレビがあることも許しません。酒たばこも禁止です。料理中に料理酒を入れて良いかリーダーに確認し地域会で協議されるほどでした。結局禁止されました。生活は原則集団生活をしています。アパートに何人も同居して暮らすことが多かったです。その場合、教会を拠点に住まいを構えていました。

批判的だと聞きましたが?

そうですね。何事も信仰的という観点から解釈しなければなりません。食べるのも、寝るのも、起きるのも先生が望んでいることか、正しいことか、真剣に吟味しました。誰かが苦しんでいれば行って助け励ますのが人情というものです。ところが、摂理では苦しんでいる信者は信仰が確かか、先生を本気で信頼しているか問うてきます。「大丈夫?」と励ます前に「あなたは正しいか」と聞かれるのです。恐いのは信者同士であれ、先生や教団への考えがぶれ始めると互いに監視しなければならない点です。平気で突き放します。つまり、先生のもとで集まる信者の関係は健全ではないということです。だから、弱った仲間に「あなたのために祈ったら主から間違っていると示された」と批判をします。考えてみてください。信仰的な話し合いで責任を押しつけ合えば正常な判断ができなくなることを・・・。

聖書的解釈の矛盾点は感じていましたか?

正直に告白すれば教理を100%信じ切っていたわけではないと思います。どうしても理屈では納得できない部分があったからです。それなのに何度も先生の映像を見せられると教理に従うより、先生という存在に依存してしまいます。ある信者は「私は教理的には信じ切っていないかもしれない。でも先生が好きで心底ついていきたい」と話してくれました。

脱会して感じたことを教えてください。

脱会に成功して一番の変化は心理的な圧迫からの解放です。そして自分の頭で判断できるようになりました。組織の中では自分で考えることは罪だと教わるので常に自己吟味しなければなりません。喉が渇くと「主よ、今飲んで良いですか?」と祈りました。やっと抜けられて10年間まるで拉致されていたような気分です。この世に戻ってこられたという感覚です。

異端カルトから抜けた人に言わないでほしい言葉、やめてほしい態度があれば率直に教えてください。

私の経験から話します。世間の評価をみると「異端カルトに入信する人は常識がなく、問題を抱えた弱い人」と批判する傾向が強いように思います。ところが摂理は社会的立場がある信者も大勢いました。現職の大学教授や医者、弁護士、会社経営者、名門校の学生が大勢いました。「常識がない人たち」という考えは正しくないと思います。軍隊や警察の部隊にも摂理信者のチームが派遣されています。鄭氏の魅力は人生で聞いたことがないような説教や聖書の答え(比喩)、体験談(事実かどうかわかりません)が次々に出てくることです。やはり、聖書が教えるメシアが自分の目の前にいるという感動が組織を強靱なものにしていくように思います。だから脱会した人を批判することはやめてほしいと思います。

社会に適応するために苦労したことを教えて下さい。

摂理を抜けた時は十年ぶりに社会に放り出されたような不思議な感覚でした。10年間という期間はとても長く、組織で身についた習慣は簡単に抜けず私を苦しめました。それでも気を取り直して会社に勤め始めましたが、年齢的な問題もあり収入は十分に見込めませんでした。これは現実だと思います。悔しかったですね。普通の暮らしをしていればこんな思いをせずに済んだのにと。今もその悔しさがこみ上げてくることがあります。私も人並みに将来設計をしていたし、大学卒後には大手企業からスカウトされ人生がうまくいくという矢先でしたから。10年摂理にいたことで友人を失い、私は完全に孤独であることに気付きました。私と繋がっているものはありませんでした。だから死にたくなりました。この時、脱会者の集いに出会いました。そして元信者同士の交流を通じて皆同じ思いをしていることを知りとても励みになりました。皆、匿名で活動しています。時にクリスチャンから批判され、心ない言葉で彼らは苦しみます。でも助け合っています。私は、一人で努力して社会に戻ろうとしていました。脱会者は自分が摂理にいたことを決して話したがりません。そのことを隠して静かに社会に紛れて生きていこうとします。両親に会うことさえ躊躇う人もいます。だから問題の実態がすぐには見えて来ないのだと思います。韓国の自称専門家という類いの方が摂理に騙されて私たちを非難する場面に直面したことがあります。苦しいこともありますが元信者は手を取り合い生きています。

脱会を考えている信者、脱会したばかりの人に伝えたいことはありますか?

摂理を抜けた後、脱会者の会で交流してほしいと思います。そしてイエス様は鄭氏ではないことを学び直し、本当の聖書信仰を得てこそ回復に至れると思います。何度も言いますが摂理を抜けた直後の精神的なダメージは相当なものです。1人で悩み努力すればみずから命を絶つ危険さえあります。専門治療(カウンセリング・精神科)も必要とします。私は治療を受けました。ただ、これだけで克服できるのか私は疑問です。私は本当のキリスト教の信仰を学び信じることができたので、その信仰により今生きることができています。教会に自由に通い、正常な暮らしを送りながら正常な判断を下せる人たちと会話し生きています。このようになるためには治療とともに信仰の回復が必要だと思います。

 

この記事は提携先の「キリスト教ポータルニュース」(2019年5月13日号)と教会と信仰、韓国キリスト教異端相談所協会に寄せられた元信者ハンさん(仮名)のインタビューをもとに限りなく原文から忠実に和訳したものです。日本の読者向けに編集してあります。