加害者を守ろうとする教会の体質

ニュースアンドジョイ ク・グォンヒョン編集長 特別寄稿

韓国のキリスト教界では性暴力事件がたびたび起きます。特に昨年末から牧師が女性信者に性的暴行を加える事件が相次ぎました。ニュースアンドジョイは2ヶ月間集中的に取材を続けて来ました。そして実際に会った被害者たちは私たちメディアとどのように接すればよいのか非常に悩んでいました。被害者たちは初めて会う記者にどこまで話せば良いのか、センシティブな内容だけに精神的負担も大きく緊張していました。それでも精一杯、被害事実を一つひとつ話してくれたのです。

写真はイメージです。(画像:ニュースアンドジョイ)

取材の過程で、加害者となった教会関係者(多くは牧師)はすべて被害者側に問題があると答えました。被害女性のモラルを問題にしたり、精神的におかしいなどと批判したりしました。「家庭環境に問題がある」、「信仰が弱い人だった」と言いたい放題です。

そして被害を訴える女性は金銭が目的だと主張するケースもありました。当然、このような加害者の言い分は何の意味もなく責任を逃れられないことを肝に銘じるべきです。たとえ被害者に何らかの事情があったとしても本人(加害者)が与えた被害が許されるはずがありません。大きい声を出して自分を正当化する牧師の姿こそ「自分の蛮行」を認めたようなものです。そして加害者側の主張はほとんどが陰謀論レベルの稚拙な言い訳にすぎません。韓国の加害牧師たちは自分の犯罪を隠すためにすぐ「あれは新天地のスパイだった」などと言って自分を正当化しようとします。お決まりのパターンです。今、話していることは某カルト集団の教祖だけの問題ではありませんから。「捏造論」、「宗教マフィアが関与している」、「儲け主義の牧師が関わっている」、こうした言い訳は嫌と言うほど聞いてきました。

なぜ、陰謀論めいた主張をするのでしょうか?被害者は取材の過程で「牧師(加害者)を辞めてほしい」と要求することがありました。当然の気持ちでしょう。加害側は「ほら、牧師を辞めさせたいから言っている。結局は自分に不満を抱いて貶めようとしているのだ」と言って、「新天地の関係者だ」などと相手を非難します。新天地は教会破壊を目的に忍び込むからです。被害者をカルト集団の信者扱いするのです。今まで何度もそういう加害者を見て来ました。被害者が慰謝料を要求すれば、「やはり金目的か」と加害側は被害者を非難するのです。

さらに加害者は自己防衛手段として自分の教会信徒や仲間の牧師まで味方につけます。だから周囲まで被害者の人格を疑うような主張を始めてしまうのです。加害者が被害者を蹂躙するだけでなく、第三者までも被害者を疑い、誹謗中傷してしまうのです。これが今の韓国教会における性被害の典型的なパターンです。

どこまでが性暴力の被害と言えるのでしょうか?被害者の要求は何が正しく、何が問題だというのでしょうか?実際に性暴力が発覚した本人が牧師を辞任することはよくあります。自分で責任を取ったつもりなのでしょう。だから「これ以上は関係ない」と主張してきます。しかし、性暴力は一身上の理由による辞任ではなく所属する教団から懲戒されるべきです。糾弾され、厳しく追及され追い出される必要があります。ところが、身内に甘いこの業界は簡単に許してしまいます。周囲に迷惑をかけた程度の認識で懲戒になれば、加害者はまた同じことを繰り返すと思います。被害者もそのことを憂慮しています。反省どころか加害事実を認めず、陰謀論を堂々と主張する・・・。こんな人たちにキリスト者としての真の悔い改めも誠実さも期待できたものではありません。

では、加害者が記者会見を開いて公開の場で謝罪することはどうでしょうか。もし、そのような場を開いても加害者が以前と変わらぬ影響力をもって役職に就いているなら結局は同じことの繰り返しです。ただ、被害事実をマスコミが周囲に知らせ、公に発信することは再発防止に少なからず役立つと考えています。

では、法的な責任はどうでしょうか。性的暴行は明確な犯罪であって刑法で処罰されなければなりません。被害者が自分の教会で相手にされず、かつての仲間(信徒)からも裏切り者のように扱われたらどこで被害を訴えればいいのでしょうか。クリスチャンの中には教会(信仰)のトラブルを法廷に持ち込むことは不適切と考える文化が深く根付いています。「苦しいけど死ぬまで黙って過ごそう」と泣き寝入りする被害者は大勢います。ニュースアンドジョイは韓国教会における性暴力を長年取材してきて一つの結論に至っています。「正しい道理に何度も失敗してきた韓国教会の現実を考えると、被害者は教会とその関係者のもとで解決することは非現実的であり、刑事告訴することが最も安全で正しい選択だ」ということです。

裁判になれば被害者は「賠償金」を請求することになります。それは問題でしょうか?加害側は「金目的」とすぐに非難します。ありもしない陰謀論で自分は貶められたと主張します。そこに妄信的についていく信徒も信徒です。はっきり言って「愚か」です。被害者の多くは精神的苦痛を抱えもがきながら生きています。性被害とは大変な問題なのです。信じ切っていた牧師から暴力を受けたわけですから。私たちには想像すらできない苦痛です。

裁判では被害者を金銭面で有利にするために賠償金の支払いを命じるのではありません。事件を受けて苦しんだ日々、時間への償い、治療など総合的に判断されるのです。裁判を通さずに賠償金を請求する「示談」もあります。そこで合意できなければ民事訴訟を通じて慰謝料を請求することもできます。

被害者たちはこの「金」に関する部分にとても神経を使っています。賠償金で自分の生活を潤そうなんて微塵(みじん)も考えていません。取材の過程で「本当に民事訴訟を起こしてもいいのでしょうか?」とよく聞かれるからです。被害者たちは「慰謝料」の請求は社会から「金銭目的」と誤ったレッテルを貼られると思い込んでいます。常識的に考えれば被害者は加害者に対して賠償を求めることは当然の権利なのです。被害者がみずから勇気を振り絞って名乗り出るMeToo運動とはほど遠い現実がここにあるのです。まだ、そんなレベルにさえたどり着けていません。

性暴力の被害者を取材してわかったことは、被害者が「金」について言及した途端に主張の正当性が容易に喪失してしまう風潮があることです。本当に恐ろしいことです。賠償を要求することは加害者に一定の社会的制裁を負わせる結果ですが、どういうわけか被害者に下心があるように見ようとします。加害側もそう誘導します。こうして被害者が偽の被害者と疑われ苦しみ、批判を受け立ち直れなくなった事例があちこちで起きています。これは深刻な人権侵害です。

被害者も人間です。強く被害を訴える人もいれば消極的な人もいます。要求も人によって違います。加害者の懲戒や辞任を求める人もいれば、民事裁判や刑事告訴する人もいます。加害側と示談する人もいます。大切なことは被害事実を私たちが認めることです。その上で被害者がいかなる選択をしようと批判したり、疑いの目を向けたりしてはいけないということです。

考えてください。性被害者が自分の受けた事実を口にすることがどれほど苦しいか。明るみに出すわけです。その先々、自分が被害者であることを社会に晒すわけです。生命に関わる重大な選択です。そして加害者とその教会から何をされ、どんな仕打ちを浴びせられるか本人はわかった上で前に出てきます。私たちは性被害者が告白したときに「疑いの目」を浴びせるのではなく、共感し寄り添い、しっかりと話しに耳を傾けなければなりません。加害者に利用されて被害者を中傷するようなことを絶対にしてはいけません。被害者の話を聞き、耳を塞ぎたくなるのはあなたが世間知らずだからかもしれません。現実から目を背けているからかもしれません。痛みに十分に共感できていない証拠なのです。

 

この記事は提携メディア「ニュースアンドジョイ」が2021年月日に配信したものを日本の読者向けに一部編集したものです。韓国では異端・カルト宗教の教祖による信者への性的暴行事件が後を絶ちません。また既成教会でも牧師の権威を悪用した性虐待、暴力が起きています。