韓国主要教団から異端規定を受けているタラッパン(屋根裏部屋)運動に属していた約100人の教役者が7月に脱退を表明したニュースが、キリスト教放送局CBSで報じられて話題を呼んだ。では、タラッパンのどこが異端なのか? 韓国の異端・カルト問題専門誌「現代宗教」の2024年6月号に、「柳光洙(リュ・ガンス)のタラッパンの危険性」と題する記事が掲載された。正統教理との違いが見分けにくいとされるタラッパン(福音宣教教会/レムナント)の教えの問題点を、イ·グァンウン牧師が解説する。

タラッパンから脱退して記者会見に臨んだ牧師たち(CBSニュースより)

柳光洙(リュ・ガンス)のタラッパンは、韓国の教会で最も多くの教団から異端規定を受けた団体である。 タラッパンはどうして異端なのだろう? リュ・ガンス牧師の説教やタラッパンのメッセージを初めて聞いた人たちは首をかしげる。

ただ福音、ただイエスを語っているのに何が問題なのか? 行いによる救いを言うのでもなく、神秘主義に偏った主張をするのでもなく、ひたすら祈り、ひたすら伝道を強調するのに、何が誤りなのか? そこで、タラッパンは政治的な異端だと言う人もいる。 韓国教会と歩調を合わせずにあまりにも強く出たため、妬まれて異端にされたと考える人も少なくない。

しかし、リュ・ガンスのタラッパンは教理的に明らかな異端だ。 ベレヤの鬼神論と救援派の律法廃棄論を正統教会の用語に変えて使う異端である。 救いに関しては十字架による罪の赦しではなく、十字架はサタンを縛りあげることであり、義認と聖化の救いではなく「すべて終わったから享受しろ」というような放蕩主義的律法廃棄論である。

タラッパンにも誠実な牧師と聖徒たちがいて、タラッパンの異端性を知らないまま、伝道を目的に今もタラッパンに残っている方々がいる。 また、韓国教会の牧師と聖徒の中には、タラッパンに好奇心を持ってのぞき込む方々がいる。

このような方々のために申し上げるが、長い間タラッパンを経験した牧師として眺めたリュ・ガンスのタラッパンは、政治的に作られた異端ではなく、教理的な異端であることが明らかである。

原罪と霊的問題、「罪」ではなく「サタン」が焦点

リュ・ガンス牧師は、原罪について、人間が神様を離れ、罪の中で溺れてサタンに捕らわれている状態だという。 これがすべての問題の原因になる根本問題であり、人が解決できない霊的問題だと主張する。原罪だと説明するが、結局、サタンに捕らわれている霊的問題と見るのだ。 まさにこれが、リュ・ガンス神学が持つ誤りの出発点であり、タラッパンの異端教理の出発点だ。

タラッパン運動の主導者である柳光洙(リュ・ガンス)牧師(CBSニュースより)

すべての問題の解決者、イエス·キリスト

すべての不信者は悪魔の子として生まれ、偶像崇拝をして精神的苦痛と肉体の苦痛に遭い、地獄の審判を受けながら霊的な遺産を残し、子どもたちも同じく滅びる、とタラッパンは主張する。すなわち、霊的な問題だということだ。 イエス様は神様に会う道であり(預言者、韓国語では先知者)、罪の問題を解決してくださり(祭司長)、サタンの権勢から私たちを解放してくださった(王)ということだ。

キリスト三重職についてタラッパンは、預言者と祭司長に言及するが、結局サタンの頭を打ち砕く王を強調する。 タラッパンはこれを初代教会が伝えた「イエスはキリスト」という福音の意味として信じる。 すなわちイエスはサタンの頭を打ち砕く王的なキリストということだ。

サタンの束縛と霊的な問題, 悔い改めと聖化のないタラッパンの教理

人間のすべての問題はサタンに捕らわれている霊的問題であるため、イエスは直接サタンを縛って悪霊に取り憑かれた者を救った (マタイ12) と タラッパンは主張する。イエス様が強い者を縛って家を略奪したように、私たちもすべての背後で働くサタンを縛ってこそ、神の国を享受できると主張する。 それでイエスの名でサタンを縛ってこそ霊的問題が治癒され、子どもと家の霊的問題が解決されるとタラッパンは信じる。

私の罪のために発生したことなら私が責任を負わなければならず、サタンのせいならサタンの責任であって私の責任ではない。 原罪論から始まったタラッパンの教理的誤りは、キリスト論の誤りを引き起こし、救済論でも悔い改めと回心の義認と聖化のないまま、ただサタンだけを縛ろうとするタラッパンの信徒に作り上げていく。

イエス様は十字架を通してサタンに打ち勝ったのである。サタンは罪人を救おうとする神様の計画を完全に防ぐことはできない。サタンは永遠の裁きと永遠の死を免れることはできない。サタンはイエス様によって打ち砕かれ、イエス様の再臨の時に火の池に投げ込まれる。 これが正統教会の理解である。

リュ・ガンス牧師は、聖徒が神の国を享受するためには、サタンを縛らなければならないと主張する。 キリストが成し遂げた救いと十字架の出来事を恣意的に解釈し、人生に適用する。タラッパンには悔い改めと聖化がなく、霊的問題解決のためのサタン縛りだけがある。

「すべてが終わった。 福音を享受せよ」救援派式律法廃棄論教理

リュ・ガンス牧師のサタン神学は、サタンにも勝てず、罪にも勝てない。 キリストを数え切れないほど叫んで強調しても、罪を犯し続けることになる。 「律法は終わり福音を享受せよ」という救援派式律法廃棄論を主張するため、タラッパンの信者たちの人生を悔い改めと聖化なしに放縦させる。

タラッパンの放蕩ぶりは、サタン神学の必然的な結果だ。 罪に耐えられないサタン神学と放蕩主義の信仰生活には神の国の救いがない(ガラテヤ5:21)。 「むなしいことばに, だまされてはいけません。」(エぺソ5:6)と聖書は勧める。

多くのタラッパン教会が脱退している。 タラッパンの教理的な誤りと問題点についてネイバーカフェ「タラッパン」を参照すると、役立つ助けを受けることができる。