特集「素人でもできる異端の教えの見分け方」
異端・カルトは使命のために嘘をつくことを《聖書解釈の原則5》で説明しました。それでは、ある情報が真実か虚偽かをどうやって見分ければよいのでしょうか? 情報を読み解く力を「メディアリテラシー」といいます。このメディアリテラシーを研ぎ澄ませ、押し寄せて来る情報を注意深く精査していかないと、バイアスのかかった情報の波に流されたり、時には詐欺的な虚偽や偽装に騙されてしまったりすることにもなりかねません。
マスメディアは何を伝えているか
私たちは普段、新聞やテレビのニュースなどで起こっている出来事を知ります。報道されたことが「事実」だと思っているわけですが、記事は取材した出来事や発言のすべてを伝えているわけではありません。各社各様に「このことを伝えよう」という編集意図があり、情報を取捨選択しているのです。編集意図にそぐわないことは初めから除外して触れないこともあります。誤認や誤報の可能性もあります。ということは、自分がニュースで見たり聞いたりした情報をそのまま鵜呑みにするのは危険だということです。
例えば分かりやすい例として、戦時中の新聞やラジオ放送で伝えられたニュースは報道管制が敷かれていました。当時メディアは日本軍の敗退や戦局不利の事実を知ってもそれを伝えることは許されず、大本営発表というフィルターを通した情報だけを報じました。多くの国民が日本は連戦連勝しているという虚偽の報道を真に受けていました。学校の教科書では神話にすぎないファンタジーを日本の歴史のように教え、日本人が特別に優秀な民族であるかのような歪んだ自尊心を植え付けました。その結果、国民全体がバランスのとれた正しい判断ができず、他国を見下したり、「鬼畜米英」といった印象操作に煽られたりして、無謀な戦争に突き進む軍部を止めることができませんでした。
そうした失敗に対する反省から、戦後憲法では言論の自由や表現の自由が保障されました。では、それで誰もが事実を知ることができるようになったかといえば、そう単純ではありません。同じ出来事でも政治的な立場によって見方が異なりますし、情報の発信源やスポンサーとの力関係によっては記事にすることを控えたり、情報を隠蔽したりすることも起こります。しかし、記者クラブを通して情報が官公庁から提供される大手メディアが書けないところを、記者クラブに所属しない独立紙や雑誌がスクープするなど、多様なメディアに報道の自由が保障される限り、隠された情報を補完することができます。
そもそも情報というものは100パーセント完全なものなどないことをわきまえ、一つの情報あるいは一つの機関が発信することを鵜呑みにしたり過信したりしてはいけないということです。一方向からの情報で軽はずみに判断するのではなく、複数の情報それもできるだけ多くの異なる立場からの情報を読み比べる必要があります。そこから客観的事実と言えることは何か、情報の発信源が伝えたいと思っていることは何か、そのメディアがそこから何を伝えようとしているのかなど、情報の内容と目的を見きわめていく作業が重要です。
インターネット情報の性質
さらに、近年急速に発達したインターネットは、誰でも自由に情報を発信できるので、雑誌なども含めた従来のメディアが伝えきれない部分を草の根から発信したり、掘り起こしたりできる可能性を秘めています。ただしその反面、裏付けの取れていない噂話のようなものでも簡単に発信でき、SNSで拡散されてしまうこともあるので要注意です。ネットは検索機能があるので情報を集めるには便利ですが、それゆえの弊害もあることを知っておく必要があります。ある組織(会社であれ団体であれ)が意図的に特定の情報を大量にネット上に拡散することができます。キーワード検索してそのような情報が多くヒットすれば、それが事実だと思い込みがちですが、それは世論や購買動向をある方向に誘導するために仕組まれた操作かもしれません。また、キーワード検索の負の面としては、人は自分好みの情報を集める傾向があるために、ネットでは容易に自分がこうだろう、こうあってほしいと思う情報を入手しがちになります。そして、人はそれを「事実」だと思い込む傾向があるのです。
以上、一般論として情報の読み解き方について少し長く説明してきましたが、これらのことはみな異端・カルトの情報操作に騙されないために大切な心得でもあります。特に最近の異端・カルト組織はインターネットを駆使することに長けていますから、上に記した情報判断の基本を踏まえた上で、特にインターネット上に氾濫する情報を注意深く読み取っていただきたいと思います。