「異端・カルト110番」が発足して10月3日で2年になります。
この間、多くの教会・教団教派の方々にご活用いただき、「よく知らなかった韓国系・中国系の新興異端・カルトのことがよく分かった」とか、「被害の実態や勧誘の手口を知ることができて役に立った」などの声をいただきました。
「お問い合わせ・ご相談」フォームにも多くのアクセスがあり、被害を未然に防ぐことができたケースもあります。
しかしまた、「信仰が違うグループにも信教の自由があるのだから糾弾する必要はないのではないか」、「異端・カルト110番は『異端』『カルト』として批判している団体を壊滅させることを目指しているのか」など疑問の声も寄せられています。
そこには「異端」や「カルト」という言葉で何をイメージするかが人によって違うために生じる誤解があります。そこで「異端・カルト」という言葉で私たちが何を問題にしているのかを整理しておきたいと思います。
「異端・カルト」の定義
一般に異端という言葉は、「正統から外れたこと」「正統とは認められない思想・信仰・学説など」などと定義されます。しかしキリスト教では、その言葉が使われる文脈や歴史的背景によって、またその言葉を使う人の関心事によって、別の内容をイメージさせることがあります。
①正統教理が確立する課程において排除された教理……キリスト教会が共通の信仰告白として公同の基本信条(使徒信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条など)が確立していった2世紀から4世紀、何が正統な教理かをめぐって様々の論争があり、教会の公会議が開かれました。その中で正統ではないとされた教えが「異端」として排斥されていきました。西方教会と東方教会とでは多少の違いがあるものの、基本信条は今日まで「キリスト教」と認められるための基準として機能しています。この定義によれば、基本信条に反する教えは異端ということになります。
【異端・カルト110番は】この基本信条に合致するかどうかを、異端を見分ける際の重要な指標と考えています。とりわけキリスト教信仰の根幹をなす神のひとり子イエス・キリストだけが主であり、その十字架の贖いが完全な罪の赦しをもたらしたという福音信仰の根幹が歪められ、あるいは実質的に無意味化されるような別の教えを正統な「キリスト教」と認めることはできません。今日「異端・カルト」として問題にされるグループの中には、ホームページなどに掲示する公式の立場では基本信条と変わらないように見える内容を表明しつつ、内部では秘密裏にそれに反する教理を教えている場合があります。そうした虚偽を明らかにし、人々が欺かれないように実態を知らせることも私たちの役割です。
②主流による非主流の排斥……中世の西方教会でローマ・カトリック(バチカン)が権威を持つようになると、たとえ教会の公式の教えに抵触しても聖書から教えられる信仰や生き方に従おうとする人々が現れてきます。バチカンがそれを認めない場合には「異端」と認定されました。16世紀のプロテスタント宗教改革者たちや、それ以前に聖書を一般人が読めるように翻訳するなどした改革の先駆者たちも「異端」と見なされました。中には地動説のように、現在では科学的な事実と認められている主張も「異端」とされました。
【異端・カルト110番は】そのような非主流の排斥にはくみしません。
③教派間の正統争いによる違う立場への異端視……プロテスタント教会は、改革者の強調点や経験的・歴史的背景の違いなどにより、多くの教派に枝分かれしました。そうして生じた教派間で、何が正しい聖書的な信仰かという解釈をめぐって、自分たちとは違う立場の教派を異端視することがありました。長い論争を経て今日ではそうした違いを福音の真理が内包する多様性と受け止めて違いを受け入れ尊重できるようになってきましたが、一部にはなお頑なに解釈の違う人々を異端視する風潮も残っています。例えば、異言やしるしと不思議を伴うペンテコステ・カリスマ運動や聖霊運動に対する偏見、聖化の解釈や終末論の捉え方の違い、別の教会政治や職制への無理解など。
【異端・カルト110番は】そのような教派間の解釈の違いに根ざす信仰の表現や教会の実践に違和感を感じることをもって「異端」とは捉えていません。
④人権侵害を生じる権威主義や反社会的カルト性……教祖や組織への絶対的な服従を要求したり、人を騙して金品を搾取することを神のための使命だと強弁したり、信者を無給あるいは極端な低賃金で働かせたり、本人の経済状況を無視する法外な献金を要請したり、正体を隠し目的を偽って勧誘活動をしたり、脅しや暗示によって脱退する自由を阻害したりすることは、人々を不安に陥れ不幸をもたらす反社会的なカルト性です。
【異端・カルト110番が】問題にし、批判するのはこのような危険なカルト性です。「破壊的カルト」と表現されることもあります。そのようなグループの多くが①の基本信条から外れており、その関連で教理的な逸脱(異端性)についても批判することがあります。
⑤異端問題か、カルト問題か……教派的背景によって、あるいは人によって、異端性(正統教理からの逸脱)を問題にするのか、反社会的なカルト性(人権侵害)を問題にするのかには幅があります。
【異端・カルト110番には】前者を重視する福音派のグループも、後者を重視するメインラインのグループも両方賛同者・賛同団体に名を連ねており、共同代表として両方のバックグラウンドの者たちが協働しています。それは異端・カルト110番が問題視しているグループが①の要素と④の要素を併せ持っているからです。
異端・カルトに信教の自由はないのか
特定の宗教の信仰や信者たちを「異端・カルト」と規定することは信教の自由の侵害だという主張があります。憲法で保証された思想・良心・信教の自由は、たとえその内容が聖書から逸脱していたとしても尊重されるべき基本的人権だと私たちは考えています。人は自分の意思で特定の宗教を信じる自由も、信じない自由もあります。しかし同時にそれは、正体を偽り真の目的を隠して勧誘してもよいという自由ではありませんし、基本的人権を侵害し違法行為をさせてもよいという自由でもありません。さらに、特定の宗教を信じその宗教団体に属することをやめる自由も保証されなければなりません。
【異端・カルト110番は】人々がそのような虚偽に騙されて被害を受けないように、現に被害を受けている人々がそれに気づいて解放されることができるように、正確な情報によって虚偽の実態を明らかにして糾弾します。そのようなカルト性の強い宗教に本人は自分の意思で入っていると思い込んでいても、巧妙な情報操作(マインドコントロール)によって誘導されていれば、それはその人の信教の自由とは言えないと私たちは考えています。マインドコントロールがかかると本人は気づかずに組織の言いなりに支配されます。自分で真理を見つけたと思い込まされています。上の立場の人が言うことに疑問を持つのは不信仰だとか、すべて報告・連絡・相談するのが忠実だとか、情報がコントロールされているかが見分けるカギです。組織や特定の人物(創始者、代表)を特別な存在であるかのように吹聴するのもカルトの特徴です。
「異端・カルト」と批判している諸団体の壊滅を目指しているのか
それらの団体が消滅するのか、あるいは健全な宗教団体に生まれ変われるのか、可能性は色々でしょう。
【異端・カルト110番の】目的は、いかなる団体の撲滅でもありません。私たちは情報機関(メディア)として事実を伝え、「異端・カルト」の被害を防ぐことに幾らかでもお役に立てればと願っています。発足時に共同代表が表明した次の文章のとおりです。
私たちについて・ご挨拶より
旧・統一協会(天の父母様聖会世界平和統一家庭連合)、キリスト教福音宣教会(通称、摂理・CGM)、救援派(クオンパ)と呼ばれる3グループ、新天地イエス教、ほか多くの韓国発祥の異端・カルトが日本国内で被害を及ぼしています。大学や企業に入り込み、SNSやYouTubeを通じて、勢力を拡大しています。
彼らは「とても良い人たちだ」「普通のキリスト教ではないか」と感じられます。被災地支援やイベントの開催を各地で行っていることも事実です。最近ではボランティア活動にも取り組んでいます。初対面で、異端・カルト側の信者であると判断することは、ほぼ不可能です。しかし、ただ単に「楽しい」「親切だ」という理由から若者がカルトに入信し、その後、反社会的行為を強要され、人権が奪われていくのです。入り口は甘く、中身は危険なカルトの構造は古くから変っていません。これら宗教は健全で安心な団体を一層アピールしようとしています。そもそもの問題は表向きの活動の善し悪しではありません。
韓国、中国の異端・カルトに関して、日本語の資料が少なく、正しい理解ができずにきていました。こうしたグループは、名称を頻繁に変えます。そのため、国外では悪名の高い異端・カルトが、日本では正統なグループとして市民権を得てしまっている団体もあります。
未信者に対しての被害だけでなく、既存の教会からカルト団体へと信徒を引き抜く問題も確認されています。彼らは身分を装い教会へ潜入し、誤情報を流し、内部分裂を引き起こすのです。教会内で起きたカルト被害が飛び火して社会に悪影響を及ぼしている事実をもっと多くの方に知ってほしいと考えています。