2019年05月22日「現代宗教」より

この記事を作成したチェ・ジェヨン牧師(NK VISION KOREA 代表)は、北朝鮮を直接訪問し、北朝鮮の統一教(統一教会を韓国・北朝鮮では「統一教」と呼ぶ。現、世界平和統一家庭連合)と事業体を視察し、北朝鮮と統一教の関係と事業体について詳しく説明している。 <北朝鮮で統一教に会う>を7回に渡り連載する。(編集者 注)

「統一教」から「世界平和統一家庭連合」に看板を変える。

筆者は、統一教が北朝鮮に進出した後、実際にどのような方法でその領域を広げて布教と宣教をするのか、直接統一教の関連機関を観察しながら調べた内容を伝えようと思う。まず、多くの韓国教会と既成宗教団体からずっと異端として批判されてきた統一教は、その公式名称の変更時も屈曲が多かった。 統一教が発足して以来、これまでどのように公式名称を変更してきたのか、それを知ってこそ北朝鮮側に建てられた統一教に対する理解がしやすいため、まずは名称沿革から調べてみよう。

1954年、文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁により創設された統一教は、教団の名称を「世界基督教統一神霊協会」と発足して活動してきた。 その後、1996年7~8月に入って文総裁が米国ワシントンD.Cで「世界平和家庭連合」を創設したが、その翌年の1997年4月8日、従来の「世界基督教統一神霊協会」と「世界平和家庭連合」をひとつに統合して、その名称を「世界平和統一家庭連合(家庭連合)」に変え、12年間公式的に使用してきた。

写真左から時計回りに、統一教の礼拝堂がある「世界平和センター」の超現代式の建物の姿。実際に平和センターは宗教的な目的で建築された。 北朝鮮領土内に設立された統一教の第1号教会である「平壌(ピョンヤン)家庭連合教会」の礼拝堂内部の様子、金日成(キム・イルソン)主席と文鮮明総裁との初対面の場面(1991.11.30-12.7)、統一教の文鮮明総裁夫妻と記念撮影する金日成(キム・イルソン)主席。(1991.11.30-12.7)(写真出典:チェ・ジェヨン牧師)

その後、2009年7月17日からは公式的に「統一教」という名称に変わり、2013年1月7日に文総裁の死後、彼の夫人韓鶴子(ハン・ハクジャ)総裁が、「統一教」という公式名称と「世界平和統一家庭連合」を統合して「世界平和統一家庭連合」という名称で再び使用し始めたのだ。 このため、国内外のすべての統一教傘下の公式教会や教団の看板は「世界平和統一家庭連合 ○○教会」または「世界平和統一家庭連合○○本部」に交換され、現在まで使用されているのである。

さらに、名称が変更されるたびに、北朝鮮側にある統一教機関も同じく変更された。 このように統一教が教団の名称を「世界平和統一家庭連合」に変えた理由は、社会的意味の健全な「真の家庭」ではなく、設立者の文鮮明総裁と関係のある家庭をモットーにするという意味だ。

これまで、統一教の独特な合同結婚式もこうした脈絡で進められており、「統一教」という旧称の代わりに、現在は「家庭教会」という看板に全て書き換えているのだ。 筆者の今回の訪朝記には、北朝鮮全域に約500箇所散在している朝鮮基督教連盟(朝基連)所属の公式教会である「家庭教会」の名称と混同する可能性があるため、統一教傘下の家庭連合教会はそのまま「統一教 教会」と称している。

北朝鮮に進出した統一教の布教現場に行く

筆者が訪朝中に官僚を通じて偶然に聞いた話の中で最も驚くべきことは、北朝鮮側では統一教という宗教を本当の正統派キリスト教だと聞いているという事実だ。 既存の正統派キリスト教に接する機会が多くない北朝鮮の人民や官僚たちは、「苦難の行軍」の時期とその後、北朝鮮側が国家的にも社会的に大きな困難を経験した度に、統一教側が保健、福祉、食糧などを持続的に支援してくれたこと、また、統一教が様々な対北朝鮮事業を通じて北朝鮮経済に大きく寄与し、助けになっているため、ありがたく思っていた。

このような理由により、統一教を「真のキリスト教」、「感謝のキリスト教」、「行動で実践するキリスト教」と知られている。 最近では、文鮮明総裁の意思によって統一教が運営する「平和自動車」会社を北朝鮮側に譲渡したため、統一教に対する好感度が高く、今後は文総裁の維持によって「普通江(ポトンガン)ホテル」さえも北朝鮮側に譲渡する計画で知られており、その事が実現すれば信頼度はさらに高まるだろう。

統一教が北朝鮮に根付くようになった決定的なきっかけは、周知のとおり、今から25年前の1991年11~12月文鮮明総裁と金日成主席の初対面以降、積極的に企業や宗教、部分の事業が徐々にその領域を広めている。 その結果、北朝鮮当局も統一教に対しては国家レベルでの各種配慮と協力関係を維持しているが、筆者がその姿を見ると、まるで北朝鮮側と統一教が共生しているかのように見える。

筆者はこの文で、統一教が北朝鮮で運営する企業にフォーカスを合わせるよりは、宗教機関により重点を置いた。 しかし、統一教が直営もしくは間接経営(合同経営)などの方式で経営する企業だとしても、その最終目的が結局は宗教的目的の実現を念頭に置いた一つの過程に過ぎない。 また、統一教の対北朝鮮企業も、統一教全体の根幹となる文鮮明総裁の「原理講論」を通じて実現される、地上天国の建設にある。

北朝鮮で運営される統一教企業は結局、統一教の教勢拡張と布教のための支援勢力であることを否定できず、最終目的は北朝鮮人民に「原理講論」の教理を教え、信者を確保するためのものだ。 従って、統一教の企業と宗教は決して分離することができないのが実情だ。 北朝鮮ではすでに統一教布教の前哨基地が堅固に建てられているが、その第一が平壌に建てられた統一教公式教会堂「平壌家庭連合教会」だ。 それだけでなく、その礼拝堂がある超現代式ビルの「平壌世界平和センター(平和センター)」や、平安北道定州に「文鮮明総裁生家コース」と「世界平和公園」などがある。

この前哨基地は、すでに北朝鮮領土内で布教活動のための中枢的なベースの役割を十分に果たしている。 伝えられている通り、平壌のど真ん中に建てられた平和センターは、その規模が莫大で、竣工式とともにその建物3階にある統一教の公式礼拝堂が開所式を終えて運営されている。 また、これとは別に国内外の統一教信者の聖地とされる文総裁の実家近くに「定州世界平和公園」が造成されているが、筆者はこれらについて集中的に調べるよう努めたい。

まず、北朝鮮で活動する統一教の宗教機関を取り上げた後、統一教関連団体や企業を見てみよう。筆者が直接訪問したのは、統一教が直営する代表的な特急ホテルである「普通江ホテル」と1級ホテルである「安山館ホテル」そしてホテル付設の高級レストラン「安山館」だ。 さらに、南浦の「平和自動車工場」、平壌市内の「平和自動車展示場」や「ガソリンスタンド」などの企業が、現在どのように活動しており、宗教的には北朝鮮にどのような影響を及ぼしているかを調べたい。

しかし、一つ留意しなければならないことは、たとえ統一教がキリスト教の正統教理と神学的な側面から見て、国内外の既成教会から異端と批判される状況であっても、南北の平和統一造成に肯定的な寄与をした事実が客観的に確認される場合、宗教的な側面を離れ、統一志向的側面から正しく評価されるだろう。

1. 北朝鮮の布教の前哨基地、「平壌世界平和センター」

統一教という組織は、設立者の文鮮明総裁夫妻が、ある目的を持って指示を下せば、手段と方法を選ばずにそれを実現させるシステムとして運営される。 特に、北朝鮮体制は基本的にその特性上、韓国教会やヨーロッパの教会などが主導して教会を作ろうとする場合、これまで容易には許さなかった。 それにもかかわらず、統一教が要求する部分は、北朝鮮側がほとんど受け入れたのを見ることができた。

金と権力と有能な人的資源を動員した統一教の交渉能力は結局、志を叶えることを結果を通じてよく見られる。 統一教は特急ホテルである普通江ホテルを確保して、近くに高級ペンション式の安三館ホテルと高級レストランの安三館、そして美しい湖を挟んで眠る莫大な周辺の敷地を確保しているだけでなく、普通江ホテルのすぐ先に統一教の前哨基地とも言える「平壌世界平和センター」を10年にわたって建設したのだ。

統一教傘下「平和グループ」は今から12年前の2007年8月5日、行政区域上で「平壌市平村区域安山洞」の9,075坪の敷地に建坪4,659平方メートル(1,409坪)、延べ9,062平方メートル(2,741坪)、地下1階、地上5階の計6階規模の平和センターを竣工した。 1階は会議場と宴会場兼用の多目的ホールを備え、3階には大規模な統一教の礼拝堂がある。

その他にも、講義室と会議室、宿泊施設を兼ね備えた複合文化コンベンションセンターの形式を帯びた建物だが、結局「平和センター」という名前の統一教の教会堂だったわけだ。 そしてこれを立証するかのように、この日の竣工式を期して統一教本部側はホームページを通じ、「平壌家庭連合教会を奉献した」と公式発表までした。

平和センターが設立された具体的な過程を見ると、統一教側が、北朝鮮側の「アジア太平洋平和委員会」に最初に建築を提案して契約を成功させた後、1997年7月に着工を開始して10年後の2007年8月に完工した。 しかし、着工後には思いがけない金日成主席への弔問問題の影響と南北関係の硬直、鳥インフルエンザ発生など、様々な紆余曲折を経験し、工事が10年間延期されたのだ。

私は「南側の建築技術で、このような建物を建設するのに、長くても1年ないし2年あれば完工するはすだが、何が原因で10年もかかったのか?」と、じっくり考えてみた。 これを立証するかのように、当時、平和センターのパク・サングォン理事長が竣工式の後、食事の席で「世界平和センターは10年を迎えた今日を節目に、本格的な南北間の社会、文化、学術交流時代を開く産室になることです」と言及したように、工事が進められた10年間の大変さと苦情があったことをうかがわせた。

同平和センターの完工は、当時対北朝鮮事業に全力を傾けていた平和自動車グループの執念と意志の結実だ。 平和自動車グループは平壌近くの南浦(ナムポ)で自動車組み立て工場を運営していたが、平和自動車がこの平和センターを発注したことになっており、平和自動車代表が平和センターの理事長を務めることになったのだ。 この平和センターを完成すれば、自分たちが運営する普通江ホテル-安山館ホテル-レストラン安山館などを一つに連携して運営する計画であり、実際、現在まで続いている。

超現代式の国際コンベンションセンターとして建築された平和センターの建物内部は、800席規模の大型の宴会場を二つも備えており、各種の会議室、講義室、宴会場、同時通訳室、宿泊施設などを具備した。 南北の各機関と市民団体が平壌で文化、学術、宗教交流行事を開催する際、誰でも利用できるように支援するという趣旨であり、統一教側で南北の架け橋の役割をしたり、南北関係を主導するという意図だったのだ。

また、平和センター内部の各種施設は、離散家族再会の際、北朝鮮側の画像再会場所としても提供され、世界的な科学者などを招いて専門人材を養成したり、平壌市民のための外国語教育やコンピューター教育の場として活用する計画だった。 しかし、このような建物の活用計画の裏には、統一橋の原理綱論を伝播し、布教しようとする意図が濃い。

筆者が普通江ホテルの近くを通り過ぎながら直接見てみると、高級ガラス張りの超現代式の建物なので、いったいこの素敵な建物をどんな会社で建築したかを調べたら、それは統一教系列の建設会社「平和土建」だった。 平和自動車会社系列の対北朝鮮の建設会社として、2000年1月に設立し、住宅、土木、プラント、空港、港湾施設などの建設を担当してきたが、自分たちの純粋な技術と人材で平和センターを建築したものだという。

これは、韓国側の技術者が平壌に行って直接建設した最初の複合建物であり、同時に韓国側法人が北朝鮮領土で建物を完工した後、運営権まで担うことになったもので、南北交流史上初めての事例として記録された。 12年前平和センターの竣工式に出席した人員をよくみれば、大半は南側の統一教で活躍中の一般信徒の指導者たちだった。 彼らは竣工式典の日程に合わせて、2007年8月4~7日まで3泊4日の日程で訪朝したが、出席者の分布図を見ると、慶尚道で棟主(世界平和大使協議会と世界日報調査委員)巨済市協議会長が出席し、全羅道ではソ・ソンジョン(務安郡平和統一家庭党中央委員)などだった。

このように、全国で模範的に活動する統一教傘下の「世界日報」の全国調査委員らと世界平和大使協議会会長団、統一教で、結党した「平和統一家庭党」党員など全100人以上が一緒に訪朝団を構成して参加したのだ。 一方、訪朝団が平壌に到着した4日は、竣工式前日だったが、同日夜、普通江ホテルの大宴会場で統一教の主催の歓迎晩餐があり、北朝鮮側ではリ・ジョンヒョクアジア太平洋平和委員会副委員長が出席した。 午前10時に開かれた竣工式は南側を含めて計150人余りが出席し、パク・サングォン平和センター理事長が歓迎演説を行い、北朝鮮側では前日の晩餐会に出席したリ・ジョンヒョクが来て演説をした。

竣工式の行事を終え、韓国側訪問団全員は午後の時間を利用して、往復5時間所要される文鮮明総裁の生家がある平安北道定州を訪問したりもした。 特に同日、竣工式を終えて地下1階から最上階5階まで建物の全体を見渡すことができる順番を持ったが、南側代表団が3階に上がってみたら、3階全体が大規模な礼拝堂でインテリアが施されていて、教会の入り口には「平壌家庭連合教会」という看板がかかっていたと証言した。 また、祭壇には統一教のシンボルマークが刻まれた講壇が置かれており、国内外の統一教教会堂内部と同じだった。

北朝鮮に常駐する統一教関連の信者たちだけが知ることができるように、第1号統一教の教会堂がここに密かに建てられたのだ。 また、建物5階に上がってみると、高級住商複合型ペント・ハウスを連想させる宿舎や付属室などが豪華に具備されていて、見物する人たちが目が丸くするほどだと口を揃えた。

建物の外形は全体的に総合文化センターの風格だが、実はこの建物自体が一つの巨大な統一教教会堂だったのだ。 特に、北朝鮮当局は建物名称は何であれ、事実上統一教の礼拝堂と言えるこのような莫大な建物を許可するまで、かなり苦心したものと見られ、これは北朝鮮最高指導者の承認と統一教のロビー活動がなければ不可能なことだ。

振り返ってみると、1991年に実現された文総裁と金主席の絶妙な一本橋での出会いが、「世界平和センター」竣工を通じて実を結び、その建物の3階に統一教会堂を立て、北朝鮮への布教は本格化されたのだ。 一生涯「反共」と「勝共」で一貫し、統一教を率いていた文鮮明総裁が1990年から急に「親共(共産党を支持)」と「連共(共産党と連結)」に急旋回をするのを見ると、「極と極は通じて、血は水より濃い」という言葉が実感できた。 (次号に続く)

チェ・ジェヨン牧師

 

この記事は、韓国の月刊「現代宗教」を日本の読者向けに翻訳、編集したものです。(正式な業務提携に基づき翻訳、引用しています。無断転用を禁止します)